20周年記念フォラム
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◆基調講演
『自然への畏怖と畏敬から考える、未来に向けた私たちの営み』
中村 桂子(なかむら・けいこ)氏
JT生命誌研究館 館長
中村桂子氏 <プロフィール>
東京大学理学部化学科卒業。同大学院生物化学科専攻博士課程終了後、国立予防衛生研究所、三菱化成( 三菱化学) 生命科学研究所、早稲田大学教授 を経て、1993年JT生命誌研究館副館長、2002年同館館長就任。著書に『ゲノムを読む』など。

あらゆる生物の中には38億年の歴史がある
現在、地球には約5,000万種類とも言われる様々な生物が暮しています。地球上に生命体が誕生したとされるのが38億年前。そこから様々な生物が生まれ、私は「生命誌絵巻」と呼んでいますが、現在のように豊かな生物界となりました。
ご存じのように私たちの体は細胞でできており、細胞の中には必ずDNAがあります。これはバクテリアでもゴリラでもヒマワリでもヒトでも、すべてに共通です。これが偶然とは考えられないので、現存する生命体はすべて、ひとつの祖先から続いていると考えています。
地球の海の中にあった祖先細胞から38億年をかけて、キノコはキノコになり、人間は人間になった。ですから、あらゆる生き物は自分たちの中に38億年の歴史を持っているのです。人間も、そして小さなアリ1匹も、共に長い時間を生きてきた繋がりの中にいます。時間と空間の繋がりです。
人間が自然の一部ということを、アゲハチョウを例にお話します。アゲハチョウのメスは、ミカン類の葉にしか卵を産みません。幼虫がその葉しか食べられないので、母チョウは葉を正しく見分ける必要があります。前脚で葉をトントンと叩きます。ドラミングと呼びます。これで葉に傷をつけ、脚先を擦りつけます。脚先の感覚毛にある細胞からミカンの葉の成分を感じ、それを脚に伝えるので、チョウは「これはミカンだ」とわかり卵を産み付けるのです。
アゲハチョウの脚先の感覚毛の細胞は、私たちの舌にある味蕾(みらい)細胞とまったく同じ構造です。つまりアゲハチョウは脚先で味見をしているの です。ヒトとチョウではまったく違う生き物のようですが、この細胞を知ると、まさに仲間だと感じます。
想像力こそ人間ならではの能力
とはいえ、人間には他の生物にはない特別な能力もあります。チンパンジーのアイちゃんの研究を通して、人間について深く考えておられるのが京都大学霊長類研究所の松沢哲郎さんです。
アイちゃんは大変賢く、私も彼女と数字の記憶の競争をして負けました。認知能力が優れているのです。
松沢さんは、人間に近く、知能もすぐれたチンパンジーにもできないことがあると言います。それは、今目の前にないものを想像する力です。たとえば遠い所でお腹を空かしている子どもがいるかもしれないと心配したり、過去を知り未来を思う想像力。これこそが人間ならではの、もっとも大事な力だと結論づけています。人間が幸せに生きるために、想像力は大きな役割を持っています。
もう一つ、人間にとって大切な能力として、大阪大学の堂目卓生教授に教わったアダム・スミスの言葉を思い出します。
「人間がどんなに利己的なものと想定され得るにしても、あきらかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、他人の幸福を自分にとって必要なものだと感じるのである。われわれが他の人々の悲しみを想像することによって、自分も悲しくなることがしばしばあることは明白であり、証明するのに何も例を挙げる必要はない」
またアダム・スミスは「富の重要な役割は、人と人とをつなぐことである」とも言っています。今、さかんに「絆」という言葉が言われますが、経済の基本は人を思い、人とつながることだというのです。すばらしいことです。私たちは人間ならではの想像する力を使って、富の役割を上手に生かす社会を考えるべきところにいると思います。
子どもが自然と身につけた本当の「生きる力」
生き方ついて考えるとき、子どもたちから教わることがたくさんあります。ここでひとつの事例をあげてみます。
数年前、兵庫県豊岡市で水害があり、学校も家も床上浸水してしまいました。この時、近隣の人の援助に感動した子どもたちは、何かお礼をしたいと考えました。そこで豊岡に飛来するコウノトリの世話をすることにしたのです。
まず田んぼに水を入れて、コウノトリのエサになるドジョウが来るよう、魚道を作ることにしました。30万円も費用がかかるとわかり、自分たちで作ろうと、森林組合のおじさんに相談しました。材料をもらい、手伝ってももらえて、無事に魚道ができました。
田んぼのお米は、コウノトリのための無農薬栽培ですので、ブランド米です。子どもたちは「このお米は子どもが食べるのがよい」と考えて、市長さんのところに行き、「学校の給食に使ってください」と言いました。ブランド米なので価格が高く、毎日というわけにはいきませんが、2カ月に3回くらいなら大丈夫だろうということで、子どもたちの希望が叶いました。次にコンビニの店長の前で「僕たちの米でおにぎりを作ってください」とプレゼンテーションをしました。こちらの方は米の量が少ないということでダメだったのですね。子どもたちはこれから、もっと米を増産して頑張ると言って います。
私は彼らと知り合う機会があり、活動の様子を見ているうちに「生きる力」とは何かがわかってきました。まず、彼らはいつも素晴らしい笑顔を見せてくれます。そして自分で考えて行動し、交渉能力があります。自分たちの意見を押しつけるのではなく、「本当にやりたい」という気持ちが人を動かすのです。そしてコミュニケーション力も素晴らしい。時折、私に送ってくれる資料なども大変よくできています。
この優れた能力は大人に教えられたものではなく、他の生物とつきあい、他の人間と付き合っていくうちに自然と身につけた。これがまさに「生きる力」なのだと思います。
人間は自然の中に生き、自分たちの持つ想像力を働かせ、何かを創っていく。それが生物として本当に大事なこと、本当に生きることではないかと思うのです。
世界をもっとよく見つめよう
自然に接するとき、いつも平安時代の京都に暮らしていた大納言の娘で、虫愛ずる姫と呼ばれた少女を思い出します。
彼女は男の子たちに虫を集めさせ、毛虫を手のひらにのせて、よく見つめ、かわいがる。「お嫁に行けないよ」と両親は心配しますが、姫は気にしません。「蝶はきれいというけれど、あれは儚い命で、この毛虫の方に本当の生きる力がある」と言うのです。当時の言葉で「本地たづぬる」と表現していますが、「そう思って見たら、この毛虫は本当にすばらしい」と当時13歳くらいだと思われるお嬢さんが言うのです。
虫をよく観察しようとするから、髪を耳にかけます。当時の女性はそんなことをしてはいけないのに。でも合理的ですね。また眉もそらないし、お歯黒もつけません。白い歯で笑っておかしいと書かれています。まさにナチュラリストで、自然をよく見つめ、観察し、素晴らしいと感じる、とても知的な愛を持っています。幸い日本には四季があり、豊かな自然があります。この国には、こんな気持ちを起こさせる環境があります。
「フィランソロピー」は難しい言葉ですが、これを私なりに、身近なわかりやすい言葉に変えると、人間ならではの豊かな想像力、生きる力、そして目の前のものをよく見つめ、愛ずる気持ちなのではないか。それが周囲の人への思いや行動につながるのではないか。勝手にそんな風に考えています。