個人の寄付活動[一般部門]
栗崎 みさをさん
栗山みさをさんは、東京女子大学を卒業後、ガリオア留学生として一年間アメリカに留学。
帰国後すぐに結婚し、世界銀行勤務のご主人に伴い、1960年より10年間、アメリカ・ワシントンD.Cで、その後2年間、バングラディッシュの首都ダッカで暮らす。
帰国後、スーパーで子どもをおんぶして買い物をしている主婦を見かけたことで、外国では見慣れないその姿に、地域の女性のために何か役に立ちたいと、
「母親英語教室」への参加を、区報を通して呼びかけた。その呼びかけに、栗山さんの自宅の電話は鳴りっぱなし。特に、戦時中、アルファベットも覚える余裕がなかった世代の母親たちが、
学ぶことを渇望している様が手に取るようにわかったという。こうして1957年、「マロン英語サークル」が始まった。
ボランティアで始めたことなので、最初の7年間は無償で教えていたが、生徒からの強い要望で、8年目から月会費を1,000円、その翌年から2,000円を受け取るようになる。
そして、その会費は全額、その時々の要望に合わせて複数の団体に寄付し続け、26年目の今日、その額は1,700万円にのぼる。
栗山さんをこうした活動に駆り立てた原点には、ガリオア留学生として渡米したことがある。本来は、留学で得たものを、帰国後日本のために役立てる約束になっており、
留学生に選ばれた人たちは、学者や役人などが多かったので、学生の自分にチャンスを与えられた幸運に感謝していたものの、帰国後すぐに結婚してしまい、
それを果たせずにいたことが、知らず知らずのうちに心のしこりになっていたようだ。また、バングラディッシュ滞在中に、大規模の台風があった際、
現地邦人は「日本人会」として寄付をしただけだったのだが、西欧人たちは、自分の子どもを背負いながら、率先して怪我人の救助や救援物資を運んでおり、
その姿を目の当たりにしたことが、ボランティアに対する意識・姿勢に大きく影響したという。
戦後のガリオア留学生の中に植えられた感謝の心が、その聡明さと謙虚さで周りの心を動かし、地域に温かいつながりをもたらすことで、
共生の精神として新しい時代に受け継がれている。国際性とは、地域での暮らしの中で生かされて初めて真に根づくものであることを、栗山さんは示してくれた。