特別インタビュー

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Date of Issue:2023.8.1
特別インタビュー/2023年8月号
嶋村仁志さん
しまむら・ひとし
 
上智大学外国語学部英語学科卒業、英国 Leeds Metropolitan 大学ヘルス&ソーシャルケア学部プレイワーク学科高等教育課程修了。2010年の任意団体 TOKYO PLAY 設立時より代表に就任。IPA(International Play Association・子どもの遊ぶ権利のための国際協会)東アジア副代表を務め、海外とのネットワークも広い。一男一女の父。
一般社団法人TOKYO PLAY
「遊ぶ」ことは自分の人生の「今」を自分で決めること
副題
一般社団法人 TOKYO PLAY 代表理事
嶋村 仁志 さん
「子どもの遊びにやさしい東京」を目指し、遊びの環境・空間づくりに取り組む TOKYO PLAY。代表を務めるのは、国内外で冒険遊び場を立ち上げた実績を持つ嶋村仁志さん。「子どもは、本能として自ら遊び育つ力を持っている」という嶋村さんに、遊びの大切さとそれを支える大人の役割について聞いた。
イギリスで学んだ「プレイワーク」
― 嶋村さんがこの仕事に就くきかっけは何だったのでしょうか。
嶋村 上智大学外国語学部英語学科に入学して、友人に誘われて行ったのが、羽根木(はねぎ)プレーパーク(東京都世田谷区)でした。ここは1979年に開園したのですが、都市計画家の大村虔一(おおむら・けんいち)さん・璋子(しょうこ)さんご夫妻の尽力によるものです。
当時、ヨーロッパでは「冒険遊び場」がつくられていましたが、大村さんは、イギリスの造園家で児童福祉活動家のアレン・オブ・ハートウッド卿夫人が1974年に出版した『都市の遊び場』に感銘を受けて、この本を翻訳され、璋子さんと一緒に各地を視察されました。「冒険遊び場」は、ドイツ軍に占領されていたデンマークで、子どもたちが廃材置き場のような場所を好んで遊ぶことから発想を得てつくられた遊び場です。イギリスは1948年からです。やはりドイツ軍からの爆撃を受けて、まちにがれきがたくさん残っている危険な状態でしたが、子どもたちはその中で遊び始め、道具や材料を使って自分たちで遊び場を作っていった。
― 遊びと平和。対になる概念ですね。そして日本でも。
嶋村 日本では1975年に、大村夫妻が呼びかけて烏山緑道の予定地だった一角に「経堂(きょうどう)こども天国」(東京都世田谷区)を開設したのが始まりです。その後、1979年の国際児童年に世田谷区の記念事業として開園した羽根木プレーパークに私が関わったのは、1988年からですが、乳幼児から高齢者まで、それぞれの年代の人たちがひとつの場所にいながらも、それぞれに遊びつつ、時々関わりつつ過ごしている。不思議な場所でもあります。
― 全国に先駆けた取り組みで有名ですね。外国語学部ご出身なのに、「遊び」に興味があったのですか?
嶋村 羽根木プレーパークに出会ってから、イギリスに保育とも教育とも違う、プレイワークという専門分野の学科があるという話を聞いて、アルバイトでお金を貯めて、伊藤忠財団の奨学金で2年間留学しました。帰国して、プレイワークを広げる仕事がしたかったのですが、現場を知らなければ始まらない。当時人を雇っていたのは世田谷区内のプレーパークしかなくて、そこで4年間プレイリーダーをやりました。でも、日々朝から晩まで、乳幼児から高校生まで付き合っていて、半分燃え尽きました(笑)。自らの仕事はどうあるべきかを考え直して、その後、川崎市子ども夢パークの立ち上げに関わることになりました。川崎市では、1980年代から非 行の問題が顕在化して、子どもの育ちに対して大人が何とかしなければという危機感もあり、2001年、全国で初めて子どもの権利に関する条例が採択されました。これをもとに作った施設が夢パークです。
人間には、「自分で自分を育てる」本能がある
― 遊びより学びを優先させようという考え方が行き過ぎた。
嶋村 そうですね。子どもが遊べる場所や時間はどんどん減っていますから、それを守るために、大人が本気になってやらなければいけない時代になってきたと思います。子どもは遊ぶこと、冒険することによって、自分の生きている場所がどうなっているのかを知る。自分で自分を育てるようにできているから、学校に行って教わる前から、いろいろなことに興味を持って、見て、さわって、聞いて、感じて、自分の中に取り込んで、それを外側に表現して、他との関係を確かめる。だから、そうした本能を発揮できるような環境や、親子を含めた他者との関係性が大事なんです。
「何もしない」ことを選ぶ
― 子どもが「ぼーっとする時間」を持つことも大事ですね。
嶋村 一人でいろいろ考えたり、空想する時間はとても大切ですが、いまの子どもたちは忙し過ぎてそんな時間はなかなか持てない。いつも忙しくしていると、子どもの感性が育っていかないのではないでしょうか。
― 羽根木プレイパークでもぼーっとしている子どももいますか?
嶋村 いますよ。あるとき何もせずに座っていた女子高校生に、「もしよかったら、一緒にやらない?」と何度か声を掛けたら、「何かしてなくちゃいけないみたい」と言われたんです。彼女は「何もしない」ということを選んでいる。その言葉はすごく学びになりました。子どもと関わる仕事をする人たちには、特に大事にしてほしいことのひとつです。“自分の人生の今”を自分で決めるのが「遊び」の時間で、それは人生の自己裁量権でしょう。子どもの権利条約の第31条には、「休み、遊ぶ権利」が定められています。
― 日本人はまじめで働きバチだから、動き回らないといけないという強迫観念がありますね。親がそうだと、子どももそう育つ。だから嶋村さんたちのような活動を意図的、意識的にやる必要がありますね。
嶋村 親としては、子どもの才能を開花させてあげないといけないのではないかという切迫感や、負け組になってほしくないという不安感もありますよね。でも子どもにとっては、楽しいから、おもしろいからやる、という気持ちが原動力になるし、自分は自分のままでいいんだということを認めてもらえる関係性は必要です。
― 親や学校の先生たちの関わり次第で、子どもの安心感の度合いが変わるということですね。
嶋村 100年前の国勢調査をみると、18歳未満の子ども1人当たりの大人の数は1.3人ですが、2020年は5.9人です。昔の大人は厳しかったといわれますが、逃げられる場所もたくさんありましたよね(笑)。
― 今の時代、見守る大人が増えているのは悪いことではないのでしょうが、問題は関わり方ですね。
嶋村 もう10年以上も前に、イギリスは「リスクベネフィットアセスメント」のガイドラインを策定しています。ベネフィット(効用・利益)がリスクを上回っているのであれば、ベネフィットを守るためのコントロールをしようという流れです。危険に対する感覚を養うことは社会の文化だと思いますが、それは国がきちんと指導すべきです。そうしないと、子どもは育たないし、少子化は解消しないでしょう。「ジャングルジムは二段目まで」とか「静かに遊びましょう」という看板があるようなまちに、子どもは増えないですよ。国として、「遊びを守る」という戦略を打ち出さなければならないと思います。
教育と同様、遊びにも戦略が必要
― こども家庭庁ではそういう戦略はないのでしょうか。
嶋村 教育は、大人が子どもをどう育てるかという仕組みだとすれば、遊びは、子どもが自分で自分を育てる仕組みです。両方とも子どもの成長に大切ですから、教育の戦略があるなら、遊びの戦略もあってしかるべきでしょう。
ウェールズは2010年の「子ども家庭法」で、3年に一度、子どもの遊ぶ環境を国のアセスメントとして義務化しました。子どもがどのように遊んでいるか、あるいは遊んでいないのか。遊べないとしたら何が原因なのか。アセスメントの結果を反映した改善計画を3年ごとに出すのが義務です。もともとは貧困対策から来ているのですが、貧困による子どもへの悪影響を和らげて、レジリエンスを生み出すためには、質の高い遊び環境が必要である。経験の貧困、機会の貧困、将来への希望の貧困が、子どもの社会的、文化的、経済的に影響があるから、きちんとやろうということになりました。
― 日本でもきちんと政策に落とし込む必要がありますね。
嶋村 内閣官房が主催した「こどもまんなかフォーラム(第6回)」で、「策定中の『こども大綱』にぜひ入れてほしい」と発言しました。これから全国の自治体がこども計画を策定しますから、調査項目に「遊び」のことも入れて計画をつくってほしい。いまは遊び=居場所になっていて、大人のつくった館にどれだけ子どもを来させるかという話に進みがちです。大きな公園や施設をつくるのも大事ですが、場をつくればいいということではありません。子どもの暮らしの中で、いかに遊べる環境を保障するかが大切で、その中で子どもは自分で自分を育てていきます。
「遊び」環境を仕掛ける
― 「とうきょうご近所みちあそび」や「渋谷どこでも運動場プロジェクト」も、そうした環境づくりのひとつですね。
 
とうきょうご近所みちあそび
 
 
渋谷どこでも運動場プロジェクト
嶋村 「とうきょうご近所みちあそび」は、交通量の少ない道路を歩行者天国として開放して一時的な多世代交流ができる遊び場をつくろうという活動で、2016年にスタートしました。団地や商店街でもやっています。「渋谷どこでも運動場プロジェクト」は、区民や区内に在勤・在学の人が取り組める渋谷区スポーツ振興課のプロジェクトです。場所もさまざまで、緑道、高齢者の包括支援拠点の中庭、渋谷駅前のストリーム、神宮前の元学校だった場所、恵比寿の道端などで、それぞれの地区で主催したい人たちに、われわれが伴走しています。
― いろいろな交流が生まれそうですね。
嶋村 公共空間とか道端でやる良さは、通りすがりの人との出会いや会話があることです。このプロジェクトで多世代交流が生まれています。こうしたつながりが、もっとまちの中で生まれてほしい。そのきっかけとして「遊び」があるといいですね。そして、大人の基準に適合していなくても、子どもたちには、遊びを通して「自分の人生は大丈夫だ」と思ってもらいたいですね。
― プロジェクトはどのような資金で運営しているのですか?
嶋村 「とうきょうご近所みちあそび」は、HSBC(香港上海銀行グループ)に6年間スポンサーになっていただきました。町内会の防災イベントと連携したり、商店街や団地の活性化にもつながりました。これがきっかけで、渋谷区教育委員会のスポーツ振興の部署から声がかかり、「渋谷どこでも運動場」が始まりました。目下の課題は、渋谷区以外でも自治体として取り組んでもらえるところをどう増やすかということです。
― そのために、大人がどうするかですね。企業へのメッセージはありますか。
嶋村 時代によって大人の役割は変わると思います。今はネットで検索すれば最初から答えがわかるような時代ですが、遊びにしても「○○体験」とか、パッケージ化されたものがあふれ過ぎているように思います。お客様ではなく、作る側、プレーヤーを世の中に増やしてこそ、社会が良くなっていくのではないでしょうか。
― 次世代育成に関心のある企業も多いですから、プログラム作成などについて提案していただくといいかもしれません。
嶋村 何か近視眼的に数字を伸ばすようなものではなく、子どもが自ら育つための根を張れる土から耕せるようなことをインパクトとして、根本的なところから考えられるプログラムづくりに取り組んでいくことが必要だと思います。
― 数値で結果を出すためだけではいけませんね。手段が目的化してしまう。仕事としてやるときの、インパクト、数量化、定性的なものをどうするか。
嶋村 やはり国の方針も大きな要素ではないでしょうか。何をやるのか最初から答えが見えていないとやらない、どのくらいの時間がかかるかがわからないとやらないという子どもが大人になって、皆さんの会社の社員になるかもしれません。その意味で、企業の皆さんと一緒に考えながらプロジェクトがつくれるといいですね。
― 次世代にどのように安心で安全な社会を手渡すかというところに、私たちのコーディネーターやプラットフォーマーとしての役割があると思っていますので、ぜひご一緒に考えさせてください。本日はありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2023年6月28日 TOKYO PLAY にて)
機関誌『フィランソロピー』特別インタビュー/2023年8月号 おわり