特別インタビュー

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Date of Issue:2023.10.1
特別インタビュー/2023年10月号
熊野英介さん
くまの・えいすけ
 
1956年兵庫県生まれ。1979年アミタ株式会社(現アミタサーキュラー株式会社)入社。専務取締役を経て、1993年代表取締役社長。2010年アミタホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長、2021年代表取締役会長兼CEO、2023年代表取締役会長兼CVO(最高事業構想経営責任者)。2009年より公益財団法人信頼資本財団代表理事も務める。
著書に『思考するカンパニー』(アミタホールディングス株式会社)、『自然産業の世紀』[アミタ持続可能経済研究所共著](創森社) など。
アミタホールディングス株式会社
https://amita-hd.co.jp/
統合知で社会の最適解を構築する
副題
アミタホールディングス株式会社 代表取締役会長兼CVO
熊野 英介 さん
1977年の創業以来、一貫して社会課題の解決と、持続可能なエコシステム型社会の実現に取り組んできたアミタグループは、シンクタンクを超えるドゥタンクとして、企業経営や地域運営を総合的に支援している。アミタを率いる熊野さんに、日本のシンクタンクが目指すべき方向性と、国家や市民が理念を持つことの大切さを語っていただいた。
国家に介入する頭脳集団
― 頭脳集団といわれるシンクタンクは、国家にとってどのような役割を果たしているのでしょうか。
熊野 資本主義は「パイを創出し分配すること」と、「分配されたパイを用いて新たな価値を創発すること」の二面で成り立ってきました。しかし、「パイの創出」に重点が置かれるようになり、欧米では国とともにパイを増やす頭脳集団として、民間のシンクタンクが形成されました。それはやがて、国の政治的取引にも介入するようになります。
歴史をひも解くと、シンクタンクの起源は、17世紀初頭にイギリスやオランダ、フランスで設立された東インド会社であることがわかります。民間でありながら、本来国が行なうような仕事を担っていました。18世紀後半の産業革命をきっかけに資本主義が誕生し、王ではなく民のための国家、すなわち「ネーションステート(国民国家)」が形成されます。そして、この理念に参加した市民が「個人」として認識されるようになりました。しかし次第にネーションステートの理念は低くなり、功利主義になっていきます。これに異を唱えたのがマルクスで、1867年に『資本論』を発表しました。
 
20世紀に入り、第一次世界大戦から第二次世界大戦の21年間でスペイン風邪のパンデミックや世界恐慌が起きて、もう一度国家に理念を持たせようという流れになります。そこで生まれたのがリベラル国家です。理念を持った国家に市民が参加し、やがて国家主義へと傾倒していくわけです。
日本では、リベラルの流れが近代国家を生んでしまいます。理念を持った市民が生まれる前に、国家が生まれてしまった。「個人」という概念がどうあるべきかについて考えず、従来の封建社会からの自由を求めたのです。その結果、日本では個人主義ではなくて利己主義となり、日本の民主主義は、利己的な市民による自由な民主主義という状態に陥ったのです。
日本的シンクタンクの誕生
― 日本では、1970年前後に企業が調査研究に力を入れ始め、シンクタンクの設立ブームが起こります。
熊野 功利主義の理念なき国家が高度経済成長を遂げたころに、企業シンクタンクが設立されました。しかし、そのほとんどが、どうパイを獲得するかというマーケティング志向だったと思います。いかにしてネーションステートとしての戦略を練るのか、グローバルな市場をつくるのか、日本の国家は欧米を眺めるだけで自ら考えなくなりました。その結果、頭脳集団として国家の仕事を肩代わりするようなシンクタンクの概念も、矮小化していったと思います。
理念なき集合知
― 最近は、市民自ら政策提言を行なったり、マニフェストをつくる動きも見られますが、日本に市民は生まれていないのでしょうか。
熊野「市民」という概念は元来、「人間は神の民であり、神以外は皆同じである」というプロテスタントの思想から生まれた西ヨーロッパ特有のものです。社会主義国家では、国家が先に形成されるから、市民は生まれない。中央集権国家では、国民は生まれるけれども市民は育たない。ではヨーロッパではそうなっているかというと、もはや理念が消えてお金のために働く賃金労働者になっています。
しかし、本当の市民には、理念や意志があります。残念ながら、日本では市民が成立しておらず、多くの人は意志がなく、当事者意識を持てない。これでは人々が集まっても、〝理念なき集合知〟になってしまいます。
― 意志や理念を持つ集合知を形成するには、何が必要でしょうか。
熊野 プロテスタントはカルヴァン派とルター派に分かれますが、前者はオランダやイギリス、アメリカで、後者はドイツや北欧です。ルター派の国では聖職者という役割が存在せず、「皆が司祭」という考え方ですから、アソシエーションという、共通の目的や関心を持つ人々が、自発的に作る集団や組織が生まれやすい。
アソシエーションの自由を毀損する、あるいは尊厳を壊すような個人の自由や活動は制限するとなると、集団からの圧力が大きくなって中世に戻ってしまいますが、いまはインターネット文明の力で、自分のライフスタイルに合わせて自由にコミュニティがつくれる時代です。職場や学校、趣味の仲間など、リアルだけでなく、バーチャルなコミュニティをネットワーク化し、当事者意識をもって参加する。そこでは集合知も生まれるはずです。
専門知、集合知から統合知へ
― そうなると、シンクタンクの役割も変わりますね。
熊野 理念からリアルが離脱している時代に、シンクタンクのあり方が従来の頭脳集団のままでいいとは思いません。
例えば、地球全体のパイ、いわゆる資源や食糧、エネルギーなどは限界に近づいていますし、気候変動によって情報の不確実性も高まり、人類史上初めて地球に制約条件が生まれています。工業社会は安定供給を前提としていて、不安定供給では成立しません。パイの創出と分配というリニアモデルを見直し、最適解を見いだす必要がある。新しい最適解は、競争原理ではなく共存原理で、これを構築するには、専門知だけでは限界があります。
― 最適解を導き出すためには何が必要でしょうか。
熊野 日本はバブル崩壊で成長神話が止まり、1995年の阪神淡路大震災やオウム事件、2011年の東日本大震災で安全神話が崩れ、リーマンショックなどで安心神話も崩壊しかかっています。どうすれば安全、安心を担保できるのかを考えなければなりません。専門知、集合知を統合して最適解を作り続ける、統合知の仕組みが必要です。アミタが掲げる「ドゥタンク」は、豊富な専門的知見と現場経験をもとに、ビジョン策定からオペレーションまでを一手に引き受ける、実行型ソリューション集団です。描いたビジョンを〝絵に描いた餅〟では終わらせません。
― 日本最大のシンクタンクともいわれる霞が関の中央官庁は、専門知の集合体とも言えますが、志望者は減少し、退職者も多いと聞きます。
熊野 構造的な問題があると思います。一部の民間も同様ですが、予算は単年度で動いていて、長期的な計画を立てにくい傾向にあります。大きな方向や方針はあっても、単式簿記や大福帳の延長線上にあるので、必要な資金や人財、ネットワークなどを集めて実行に移すための計画性を欠いた状態に陥りがちだと思います。
― 物事を長期的に考える思考が失われているということですね。
熊野 戦略が見えにくいと感じます。ではどうするかというと、物事の現象の本質を見て、そこから何が生まれるかを想定し、過去に近似値があったかを考え、未来を創造する。哲学的な思考がないと見たいものしか見えなくなってしまいます。専門知で訓練されてきた人のほとんどが、専門のメガネだけで世界を見ています。まずは自らを客観視、俯瞰視することが重要です。ただ、客観的なメガネを持っている人は本当に少ない。全方位を見ることが統合知ですが、誰がこれをオーケストレーションするのか。金融や行政は縦割りで、政治家も心もとないですね。
― 絶望的な気持ちになります。
熊野 戦後、哲学的思考は余分なことだと省かれていきました。でも価値を科学するのが哲学で、本来、日本人はこの分野が得意なはずです。世界で一番文脈に依存する、あいまいな言語が日本語と言われています。気が合うとか、気を配るとか、文脈を読んで察する力が求められるのですが、いまではその力が弱まり、表層しか見ていません。物事を分析・比較して判断はするけれども、先を見通して「これをやる」という意志がない。たとえ8割リスクがあったとしても、日本として2割のチャンスがあるのならやるべきだという決断ができません。
2015年の「国連持続可能なサミット」で、「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。その中心が、SDGsの持続可能な目標です。世界を変革するためにどのような理念や構想を持つのかを、15年間で考えようということです。方法論としては、カーボンニュートラルやネイチャーポジティブ(自然再興)がありますが、どういう社会を目指すかという理念はデザインできていません。このような状況こそ、シンクタンクが機能不全の状態だと言い切ってもいいくらいです。
意志を持つ市民の創出が日本のキャピタルになる
― シンクタンクが、ビジョンや方向性を示していかなければなりませんね。
熊野 機能不全なら、新たにつくればいい。アミタは「発展すればするほど自然や関係性の豊かさが増幅する社会」を目指す、ドゥタンクです。その実現には、社内外の共創ネットワークとそこで得られる統合知が不可欠です。未来への希望、そして仲間とともに目指す社会像を打ち出すべく、2022年、自然界の生態系にならった「エコシステム社会の構築」を発表しました。
リニアモデルを見直し、成長エンジンをサーキュラーモデルに転換する必要がある。そのひとつが廃棄物の資源化です。家庭ごみを分別し持ち寄る、互助共助コミュニティ型の資源回収ステーション「MEGURU STATION®」や、回 収された資源をさらに質の高い循環資源に加工し、安定的に持続可能な調達を目指す企業に出荷する「MEGURU FACTORY」、そして、ひと・自然・もの・情報をつなげる「MEGURU PLATFORM」の構築による市場創出を進めます。いずれも、資源問題とともに、地域住民がつながり、孤独や少子高齢化といった社会課題の解決を目指して取り組んでいます。
そうなったときに、「自分たちのコミュニティをよくしたい」という住民自治も生まれるはずです。意志を持つ市民が創出されれば、消費行動や購買行動も変化し、自然環境や人間関係も良くなって笑顔が増える。そして、意志を持った投票行動につながっていくと思います。
― ようやく、日本でも自ら判断・決断できる市民が育つということでしょうか。
熊野 育つと思いますし、その土壌はあります。世界中が定常経済になって、功利主義に走ったら、不幸しか生まれないですよ。例えば「観光」は仏教用語で、知恵を観るということです。世界から日本の文化や生活を見れば、尊敬が生まれるはずです。こういった本質論が議論されず、表層の情報収集ばかり行なわれています。
― 政策立案者にそういう発想がないと厳しいですね。
熊野 シュンペーターが言ったように、資本主義は成功すればするほど失敗する。なぜなら、既得権益者がイノベーションを起こさなくなるからです。本来、社会から権力や財力、知力を得た人々は、社会に対する義務を果たすべきですが、自身の権利を主張するばかりです。これでは理念が低下する一方で、共通善が生まれません。
― これからの日本の方向性について、どのようにお考えですか。
熊野 日本人が日本のことを知らなさすぎると思います。カリフォルニア州よりも狭い国土で、人類史上高度な文明を形成したことにもう一度気づく必要がある。大陸から見れば工業地帯のような日本が、生態系を守り、持続可能なメカニズムを実行すれば、世界に広まる可能性があります。
ただ、課題が一つあります。資源が乏しい日本において、人がキャピタルになれるかどうか。教育現場ではいじめが起こり、不安定な状況になっています。さらには、能力主義が劣等感を生み出し、大人をも苦しめて、孤独を生んでいます。孤独を無くすためには関係性の提供が必要で、最適解をつくる仕組みができれば、国民の意思の総和は国家を超えるでしょう。そのためにも、教育は大切です。そして、事業家は志を高く持ち、次代の経営者を育てなければなりません。
統合知によって、新たなネーションステートの理念をデザインする。日本でそのモデルを示したいですね。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
エディター 島津千登世
 
(2023年8月31日 アミタホールディングス株式会社東京本社 にて)
機関誌『フィランソロピー』特別インタビュー/2023年10月号 おわり