インタビュー

Date of Issue:2012.4.1
インタビューNo.349/2012年4-5月号
菅 喜嗣 さん
すが・よしつぐ
 
秋田県角館町(現・仙北市)生まれ。出生後1か月で仙台に移り高校時代まで過ごす。大阪大学卒業後、当時文化事業を推進していた西武百貨店に入社するも2年で退社。さまざまな職を経て1991年ノルコーポレーションを個人創業。日本最大級の生活雑貨メーカーに育て上げる。2008年に株式会社MNHを設立。実践型人材育成を重視したソーシャルビジネスを展開。「地域の課題解決をお金と雇用に変える、筋の良いモデルとノウハウ」を確立し、全国に普及すべく日々行動している。
小澤尚弘 さん
おざわ・なおひろ
 
東京多摩の田無市(現・西東京市)出身。八王子の専門学校在学中から、NPO法人チェロ・コンサートコミュニティーに携わり、「ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール in 八王子」の事務局として2006年、2009年に同コンクール開催に立ち会う。コンクール以外にも学校訪問コンサートや街中での無料コンサートなども実施。2010年に株式会社MNHに転職し、2011年11月、取締役社長に就任。
創業社長が若者に伝えるソーシャルビジネス起業のための心・技・体
副題
株式会社ノルコーポレーション 代表取締役会長
株式会社MNH 代表取締役
菅 喜嗣 さん
株式会社MNH 取締役社長
小澤 尚弘 さん
社会の課題解決、地域活性化、若者の雇用、少子高齢化の日本で待ったなしの重要な課題に対して、立ち上がった中小企業の会長がいる。生活雑貨メーカーをゼロから立ち上げ、従業員400人の超優良企業に成長させた菅喜嗣さんだ。彼は自ら会得した「経験のない若者でも極小リスクで取り組める商品開発ノウハウ」を駆使して、日本にたくさんの社会起業家を産出すべく、株式会社MNH(「みんなで日本をハッピーに」の略) を設立。「地域の活性化」+「若者の雇用」+「社会起業家の育成」を同時に達成する新しい社会的ビジネスモデルの構築をめざしている。NPOの事務局長だった20代の小澤尚弘さんを社長に迎え、東京多摩地域を中心に、地元企業や福祉作業所、NPOを巻き込みながら「みんなで稼げる」ユニークな事業を始めている。まさに今後 の日本の地域社会に必要とされる、斬新なビジネスモデルだ。
若い人に事業家の感覚を伝えたい
― 菅さんは1991年に創業したノルコーポレーションを日本最大級の生活雑貨メーカーに育て上げた実績をお持ちですが、2008年、株式会社MNHを設立。若い人自らが起業家になるための訓練と実践の場所を提供するソーシャルビジネスカンパニーをスタートなさいました。そもそもノルコーポレーションはコーズ・リレーテッド・マーケティングや地域貢献などCSRに熱心な企業です。敢えて別会社を作られたというのは?
 別会社にしたのは、はじめは商売人としての勘です。大企業と中小企業ではCSRの形が違うし、本業プラスαでちょっとやるという形はいやだった。CSRはやはり世の中にその企業が必要とされる究極のブランドづくりだと思うんですが、世の中の仕組み自体を変えようとすると本業にガタがく る可能性が高い。そもそも日々マーケットと戦っている社員に「俺はこう考えているから、ついてこい」というのも失礼な話です。それで会社からは一銭も貰わず、自分のお金で会社の隣にアパートを借りて、MNHを設立しました。ただ最初は五里霧中で、ひとりで悶々としていましたね。NPOや行政のことなどを勉強していくうちにソーシャルビジネスを知って、これなら世の中を変えられるとの思いがわいてきて、「あ、自分のやりたいことはこれだ」と気づいたんです。
― 今、ソーシャルビジネスには政府も補助金を出すし、若い人も興味を持っています。でも菅さんのような「商品開発をして売る」というしっかりした事業フィールドがある方が、その経験を活かして若者を鍛え、チャレンジさせるというのはとても珍しいと思います。彼らがソーシャルビジネスにチャレンジし、本格的な事業として伸びるというのが理想のはずですが、なかなか進んでないのが実状ですから。
 NPOよりNPOの支援団体のほうが目立つ(笑)という現状が今の日本を象徴しています。また日本のNPO自体、多くの場合助成金等で動いているので、活動しているのは生活に困らない退職者や主婦の方々が多いと思います。したがって、どうしてもお金を稼ぐという観点が抜けてしまうので若い人を雇用することが難しいのです。私は未来を創る公益団体が若い人を自力で雇用できてない状況には矛盾を感じています。その現状を我々の「どんな不利なところでも知恵と努力で食っていくノウハウ」で変えていきたいと思ったんです。ただ一番困ったのは、我々の相手方がいなかったことです。MNHを作ったとき、世の中には地域活性に燃える元気のいい連中がたくさんいるから、彼らと我々のノウハウでがっちり組んでやるぞ、と張り切って いたのに、メールを出してもなしのつぶて。地方に出かけて会いに行っても、そういう人間は見えてこない。地元の人たちと話すと、地元には仕事がないから都会から若者がもどってこないのでますます衰退するという悪循環や暗い話が多く、やはり地域活性の一丁目一番地は若い人の雇用創造と思ったのです。ただ、それにしても相手方や仲間が見つからず苦しかったですね。
― そんなとき、多摩信用金庫 価値創造事業部部長の長島剛さんが、多摩地域のNPOで事務局長をしていた小澤尚弘さんを菅さんに紹介された。学生時代からずっとNPOで働いてきた小澤さんにとって、株式会社への転職は大きな転機ですね。
小澤 手段が目的化するというのは、NPOによく起こることなんです。当時、僕はチェロのコンクールをやっているNPOにいたんですが、コンクールを開催することが目的になっていて、NPOという組織体を作る意味が感じられなくなっていた。そんな思いを長島さんが理解してくれて、菅さんを紹介してくれました。ただ仕事の本質的な内容はほとんど変わらないんです。僕はもともと地域にあるもの、転がっているものを結びつけるということがやりたかった。それがチェロイベントから一般的な商品に変わっても、みんなをくっつける作業は同じなんです。
 私は小澤君から行政やNPOの人たちのメンタリティや連携の仕方を学びました。ただNPOの人たちと経営者は、マインドという点では天地の差があると思います。普通のNPOは行政と似ていて、予算はあってもお金を生むところがない。民間企業ではサービスでも商品でも、最後はお客さんに買っていただく。そして、かけた手間や費用に対して、もらったお金との差額を利益として再投資します。その事業家の感覚を、彼のような世の中に貢献したい若者に絶対理解してもらいたかったので入社一年後に社長になってもらいました(笑)。どんなに優秀な人でも、こればかりは実際に体験しないと絶対にわからないですから。また残念ながら世の中には事業が失敗しても自分の給料が変わらない人たちの無責任な言動が存在し、「いただいた補助金や支援はあたりまえ」と恩義を感じない大人もいます。若い人は実力をつけて、そうしたまちがった考えを実績で変えていってほしいですね。
既存の「かりんとう」を使って地域の力を再発見する
― MNHで最初に取り組んだ商品が「かりんとう」だったのは、なぜですか?
 ノルコーポレーションの本社がある多摩地域で、まず成功例を作りたかったんです。いろいろな案を出し可能性を調べているうちに東京駅で一番売れている商品が実は「かりんとう」だという情報を得ました。我々には力がないわけですから、大きなメーカーのような戦い方をしてはいけません。もともとの素材がよくて、ネーミング・パッケージを変えることで大きく化けれるものを徹底して探して、さらに消費者とコミュニケートできるストーリーを作る。それが弱者のビジネスの秘訣です。これまでノルは食品を扱ったことはなかったんですが、この「かりんとう」を化けさせて高尾山のような観光地で売るなら成功できると考えたんです。その時、多摩信用金庫さんから「多摩のお土産を作りたい」という話もちょうどあって一気に話が進みました。それで「天狗の鼻 棒かりんとう」( ※高尾山は天狗信仰の霊山として有名) を作ったんです。そこまでは私が道をつけたんですが、そこから先のネットワーク作りは、小澤君の仕事で、私よりずっと上手にあれよあれよと関係を広げてくれました。NPOのネットワークやコーディーネート力はすごいなと素直に感心しました。筋のよい商品に社会的な大義が加わると皆さん本当に協力してくれる、すごいパワーを生みますね。
小澤 まず福祉作業所に包装作業をやってもらうことにしました。ただ作業所は10人程度の通所者しかいないので大ロットの仕事はできない。そこで八王子の4団体に協力してもらって、同じ仕事を同じノウハウ、品質でやってもらう。高尾山薬王院には「障がい者支援になる」ことを理解してもらい、売り場の提供に繋がりました。発売半年後のピーク時には一日で2,000個も売れる大ヒット商品になりました。「地域の資源と課題をお金と雇用に かえる」という僕たちの目標を踏まえて、まさに地域の課題がお金にかわる瞬間だったんです。実際、作業所でもボーナスが1回多かったとか、人によっては工賃が倍になった例もあります。少しずつですが、経済的にも効果が出始めています。
 幸い、ソーシャルビジネスという仕組みはみなさんが応援してくれるので、高尾山薬王院のような普通では置いてもらえないところで売ってもらえることになった。ソーシャルビジネスにとって、いい場所をいただけることはものすごい武器だと思いますよ。
かりんとうは昨年4月の発売ですが、7月には、多摩地域の老舗醤油醸造元の近藤醸造さんと組み、「キッコーゴしょうゆかりんとう」を発売しました。イベントでも観光客のお土産でも、手軽に販売できるかりんとうは近藤醸造さんにも喜んでもらえました。多摩地区にはもともと、かりんとうを作っているすばらしいOEM工場があって、そこをベースにいろんな地域の素材を入れるというやり方ができるんです。
つなげることで広がる「地域公共ブランド」
― 今では、かりんとうの種類がどんどん増えていますね。
小澤 10種類くらいに増えたので物流拠点が必要になり、配食サービスをやっているNPOに仕事を頼みました。このNPOはコミュニティカフェを営業していて、あまり儲からないけれども地域には必要な存在だったんです。彼らは配送用の車を持っているので、かりんとうの物流を依頼し、同時にかりんとうの詰め合わせの販売も許可しました。最初からルール化して、NPOや地域貢献団体なら、かりんとうの売上げの3割を活動資金に入れていいという形にしたんです。すると彼らにもかりんとうが「自分たちの商品」になって、勝手に売ってくれる。すると全体として販売力が上がって、最終的により大きなお金になります。
― NPOなどコミュニティの力を活用して、みんながハッピーになる事業に育っていますね。
小澤 NPOはネットワークの強さも特徴です。1人が10人くらいのお客さんを持っているようなものなので、10人のNPO理事がいれば100人のネットワークがそこに存在している。営業がいらないんですね(笑)。「これ使ってみて」「食べてみて」のひと言で、みんなが買って広げてくれます。これまで自分たちのネットワークはただネットワークのまま存在して、会費や寄付でしかお金を集めることができなかった。しかしモノが売買できれば、ネットワークがお金につながる。買い手にも喜んでもらえるし、NPOの人たちも楽しみながらお金が稼げるんです。
 普通、中小企業が新ブランドを作り定着させるのはきわめて困難です。しかし、たとえばこういう手法で既存の商品を『社会化された商品』 にすることで、地域の皆さんが自分の商品と思ってくれる。まさに地域ブランドになっていくんです。これを僕らは『地域公共ブランド』と呼んでいます。
 まだイメージの段階ですが、将来は観光や農業など他の分野もいろいろな工夫でもっと社会化できるはずで、そこから新たな地域活性のスタイルをい くつも生みだせると思います。
― かりんとうの次はカステラに挑戦されているとか。
小澤 かりんとうは地域でオリジナルを作ってもらうのですが、それとは逆に、うちで「東京黒かすてら」という共通ブランドを作って、これ をみんなに使ってもらう方式です。カステラは和菓子屋さんならどこでも焼けるし、洋菓子屋さんも焼く。多摩地区でも多くの店舗が扱っているので、みんなで多摩を代表するお土産のブランドを作っていこうという考え方です。ルールは共通パッケージを使い、生地に竹炭を入れて真っ黒にすることだけ。あとは地域で食材を工夫してもらって、自由なレシピで作ってもらいます。
― 協力する和菓子屋を見つけるのは大変ですか?
 和菓子屋さんの情報は、ネットワーカーである多摩信用金庫さんに手伝って貰っています。趣旨をちゃんと説明すると、思った以上に皆さ ん、一発でOKしてくれます。パッケージも自分たちで作るより安いし、宣伝は我々や多摩信用金庫さんが行います。リスクもなく、誰にでもできる形でやっているから評価をいただける。
― 多摩信用金庫がコーディネーターの役割を果たし、様々なキーパーソンをつなげた。これが重要ですね。
 多摩信用金庫の情報集積力のお陰で小澤君とつながりました。今、地域、世の中を動かしているのはやはり中小企業です。ソーシャルビジネスという手法も武器に使って次世代を担う若い後継者たちが訓練され、中小企業の経営者からも第二、第三の小澤君が生まれればいいと思っています。
世の中を変えるまでとことんやろう
― 多摩での活動から、いよいよ東北へと新事業を始められるそうですね。
小澤 「東北に若者の雇用をつくる株式会社」を作ったので、ここをプラットフォームにして、まず山形から始めようとしています。東京在住 で山形出身の女性たちの会「GLY」(Girl Loves Yamagata) を見つけて、去年の年末に会ったら、Uターン、Iターンしたいけれど、現地に雇用の受け皿がないという話なんです。しかし「GLY」は行政とも関わりがあるし、地元のネットワークがすごい。お互いのやりたいことがちょうど合致するので一緒に取り組むことにしました。行政や地元企業から、お金は一切いただかず、かりんとうと同じようなことをカステラや石けんなどの地元産品でやろうと しています。
 地域で若い人が活躍できなければ、共同体が衰退するのはわかりきっています。戦略的には若い人の雇用が第一。現地で皆さんに話をきくと、若い人の地域での起業を阻んでいる原因が3つありました。1つ目は「本当に食っていけるモデルがない」、2つ目は「地域独特のしがらみが大変」、3つ目は「もし失敗したらその地に残れなくなるなどのリスクがある」。今は志があっても地元に家業があるとか、どこかの団体ですでに活躍している人でないと、優秀な人であっても地元で起業は難しいのです。そこで我々はまず、やる気のある人、能力がある人、そういう若いリーダーが食える状況を強制的に作りだす。しかもその起業にまわりのみなさんが喜んで協力してくれて、かつ実際に経済活動が活性化して地域もうるおうという地域商社モデルを作ろうと考えています。
― まさに、小澤さんのような起業家のたまごがたくさん生まれるのですね!
 そして有能な人がソーシャルビジネスの社長になって地元の子供たちの理想の職業になれば、地域がものすごく明るくなる。ただしはじめは皆素人ですから特に若い人は「カッコがよいけど商売的に筋の悪いビジネス(笑)」をやりたがります。でも努力しても結果のでない事業や致命的失敗は命取りですので、最初は我々のプログラムでやってもらって数年は訓練してもらいます。すでにある商品を社会化して地域公共ブランドにする手法は、リスクが少なく一番確実な事業なんです。いずれ地元の信頼を得て、経営について実力がついてきたら、あとは地域独自の課題、自分の思い、個性などを踏まえて、6次産業化や観光、少子高齢対策、福祉などさまざまな分野で独立してもらえばいい。若い人には、どこでも食っていけるこのモデ ルをつかってもらい、日本の閉塞感をぶっ壊すまで闘って欲しいです。
― 菅さんは地域活性化を本気でやりたいからこそ、この事業で実験しているんですね。
 次世代の皆さんには本当にがんばってもらってハッピーな日本にしてもらいたいです。そのためにもこういう事業をやるなら世の中を変え るまでとことんやらないと意味がないと思います。特に若い人はテレビや雑誌にとりあげられて中途半端に満足するのではなく、「この事業で何人の雇用が生めたのか」を常に自分たちのものさしにしてがんばってほしいですね。
― 本当にそうですね。ソーシャルビジネスにチャレンジする若者の戦うフィールドを提供する企業のモデルになっていただきたいと思います。本日はありがとうございました。
【聞き手】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
機関誌『フィランソロピー』インタビューNo.349/2012年4-5月号 おわり