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No.383
2017年12月号
特集/● 巻頭座談会 (記事全文をご覧いただけます。)
一人ひとりの想いを巻き込んだ 新しい寄付のかたち
~第20回まちかどのフィランソロピスト賞受賞者~
川野 幸夫 氏
株式会社ヤオコー 代表取締役会長
髙橋 陽介 氏
日本オラクル株式会社 オペレーション統括本部
ビジネスオペレーション本部長
● 特別寄稿 (記事全文をご覧いただけます。)
まちかどのフィランソロピスト賞誕生秘話と「慈善契機」の発見
出口 正之 氏
国立民族学博物館・人類基礎理論研究部 教授
● 「まちかどのフィランソロピスト賞」20周年を迎えて
フィランソロピストたちの軌跡
寄付のきっかけ 寄付のかたち
● 寄付のあれこれ
数字で見る寄付の現状
フィランソロピー落語
● リレーコラム(第11回)私のフィランソロピー
宮内 眞木子
西脇基金を支える会代表・税理士
● 連載コラム(第57回)富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
増渕 達也
株式会社ルート・アンド・パートナーズ 代表取締役社長
● リレーコラム(第8回)学校から考える社会貢献
ささやかでも社会(世界)を創る人間の育成こそ
鈴木 文也
宮城県大崎市立古川中学校 校長
● 見たこと聞いたこと
第9回コモンズ社会起業家フォーラム
● Others
PHILANTHROPY BOOK REVIEWS
JPA PHILANTHROPY TOPICS
編集後記
◆ 巻頭座談会/No.383
一人ひとりの想いを巻き込んだ新しい寄付のかたち
株式会社ヤオコー 代表取締役 会長
川野 幸夫 氏(写真左)
日本オラクル株式会社 オペレーション統括本部
ビジネスオペレーション本部 本部長
ビジネスオペレーション本部 本部長
髙橋 陽介 氏(写真右)
第20回まちかどのフィランソロピスト賞(2017年12月12日贈呈式開催) で大賞をお受けいただきましたお二人。川野幸夫さんは、埼玉県立浦和高等学校同窓会のみなさんで後輩を応援する奨学財団を。髙橋陽介さんは、自転車の趣味から仲間に呼びかけるプロジェクトという、今後の寄付のモデルとなる素晴らしい活動をしていらっしゃいます。お二人にお話をうかがいます。
先輩一人ひとりが応援する意味
<プロフィール>
公益財団法人県立浦和高等学校同窓会奨学財団理事長、埼玉県立浦和高等学校同窓会顧問、株式会社ヤオコー代表取締役会長、ヤオコー川越美術館館長、公益財団法人川野小児医学奨学財団理事長、一般社団法人日本スーパーマーケット協会会長など。
― 川野さんが、2013年同窓会会長のときに奨学金を始められたのは、浦和高校からの要望だったのでしょうか?
川野 6年ほど前に、浦高(浦和高等学校略称・以下同)から、同窓会から経済的な支援をお願いできないかと話がありました。浦高では、以前、アメリカの大学のサマーセミナーに生徒を送り出していたときがあったのですが、それを復活させたいとのことでした。いいことですので協力しようと思いましたが、1回きりで終わってしまっては意味がありません。同窓会として、できるだけ長い間支援できる財団を作ったらよいのではないかと考えました。
― 川野さんは、すでにご自身の「公益財団法人川野小児医学奨学財団」をつくっていらっしゃいますね。
川野 その経験もありましたので、同窓会で奨学財団を作り、内向き、下向き、後ろ向きと言われる今の若者たちの背中を、押してあげたらよいのではないかと考えました。浦高は、「リーダーたるべき人材」を育成する教育をモットーとしています。今の時代、グローバルに活躍するために、若いうちから海外の異文化に接してもらうことが、大変大切なのではないかと思いました。
― そういったお話を、同窓会の方々にされたのですね。
川野 わたしたちのような高齢者は、年金にしても支払った金額より貰う金額のほうが多いです。しかし、若者はそうはいきません。今後、若者を応援していくのは、わたしたち高齢者の役割りではないかと話しました。すると同窓会のみなさんは、諸手を挙げて賛成してくれました。
― 26万株を寄付されると聞いて、驚かれたのでは?
川野 そのときには、株式を寄付するという話はしていませんでした。
― 財団を作るには、はじめにお金が必要ではないですか?
川野 同窓会から基本財産として、900万円を入れていただきました。そのときの副会長が、埼玉県庁勤務中に財団を作った経験のある方でしたので、率先して手続きをしてくれました。ただ、財団ができても、どのくらい寄付が集まるかわか
りません。活動の基礎になる部分として、わたしがヤオコーの株式を寄付しました。株式を寄付することで配当が出ますから、それを運用資金にすることができます。設立時に20万株を寄付し、それからは、毎年ヤオコー株式2万株と200万円の寄付をしています。もちろんこれからも続けていく予定です。
― すごい! それが同窓会メンバーの背中を押すことになりましたね。
川野 わたしがお金をだすことで、同窓会のみなさんがみんなで力を合わせて後輩を応援していこうと思ってくれればいいと思っています。そのように、みんなが応援してくれて集まった奨学金や支援金は、それを受ける人にとっても、励みの大きさが違ってくるはずです。多くの先輩が応援してくれているという「想い」に意味があると思っています。
趣味で広がる社会貢献
<プロフィール>
東京生まれ。6歳の時、父の仕事のためアメリカに引越し、大学卒業までニューヨークに住む。社会人になったのをきっかけに日本に帰国。IT企業中心に20年以上勤務。
― みんなで応援するという意味では、髙橋さんが自転車で仲間を集めたきっかけはどのような?
髙橋 2014年に「NPO法人ブリッジフォースマイル」のセミナーに参加して、児童養護施設の子どもたちの課題を知ったことでした。親から離れて育った子どもたちは、18歳になると施設を出ないといけません。一人になり、進学したくてもできない。その理由として、資金面や相談できる大人がいないなどがあります。そこで、そのNPOでは「カナエール」(児童養護施設を退所後専門学校や大学等へ進学する子どもたちを支援する奨学金支援プログラム)というスピーチコンテストを開催しています。児童養護施設の子どもたちが、大人になったらなりたい夢を語るのですが、そこに妻と娘と家族3人で参加し、非常に心を打たれました。
― どんなお話だったのですか?
髙橋 過去の辛いこともオープンに話したうえで、学校の先生になりたい、レストランを開きたいと、自分のやりたいことを強い意志を持って語りました。それを聞いて力になりたいと思ったのが、2015年の6月。ちょうど夏休みに、趣味の自転車で旅をしようと思っていましたから、だったら好きな自転車で子どもたちの支援ができないかと考え、7月に1回目の「Cycling For Charity」(通称:チャリティチャリ)を立ち上げました。東京から東北まで500キロ。自転車に乗り、そのチャレンジを応援してくださる人たちに寄付を募り※、集まったお金を全額NPOに寄付すると決めました。
【寄付の仕組み】金額を1キロ当たり10円などと自分で決める。500キロ完走したら10円×500で、後日5,000円を寄付する仕組み。
― 6月に感動して7月に実行ですか。すごいスピードと行動力!
髙橋 企画しながら、あっという間に出発したので、応援してくださる人がいるかと不安だったのですが、スポンサーは93人。途中、フェイスブックを通して写真を投稿し、寄付は63万円と、思ったよりたくさんいただきました。2年目はもう少し早く企画して、アメリカからの友人とふたりで自転車に乗り、事務局をサポートするボランティアを募りました。長崎から神戸まで1,000キロを目標に1,049キロを走り、寄付は180万円集まりました。
― そして、ことし3年目の挑戦。
髙橋 体調もよく、精神面でもエネルギーがあったので、思い切ってチャレンジしようと、1月から動き始めました。企業を回り、フェイスブックを通して自転車で走る人を集め、伴走車の運転手や写真・動画を撮ってくださる人たちを募り、4週間かけて東京から北海道まで走りました。100名以上に関わっていただいて、511万円を、子どもと教育のテーマで課題を解決しようとしている3つの団体に寄付しました。
― 経費はどうしたのですか?
髙橋 一部は会社が負担してくれましたが、わたし自身は100万円以上出しましたので、これからは、運営コストだけは企業スポンサーを募ってみようと思っています。
― 大変だったことはありましたか?
髙橋 自転車に乗った人は4週間で30人。うち10人は初心者でした。出発の4日前に自転車を買った人や、60歳で43年ぶりに自転車に乗った人などがいて、安全に目的地まで行かなくてはいけないことがプレッシャーになりましたが、徐々に達成感がでてきました。今回は小学校の6年生も参加して、「大人になったら、自分も趣味を通して社会貢献をやりたい」と日記に書いてくれたと聞くと嬉しく、その子たちが将来、何かをやろうと思ってくれるといいですね。また、自転車の旅の最中でも、児童養護施設などでプロジェクトや自転車の話をして、子どもとの関わりも大切にしました。
― 直接に会うことの意義には、どんなことがありますか?
髙橋 施設の子どもたちが、いろんな大人と触れ合って、この人みたいになりたいと思うロールモデルがあると、大きな目標になり、その上に経済的な支援があれば、学校に行きたいと思って卒業までいけます。ロールモデルを持つことは大切だと思います。
― プロジェクトの人たちが、まさにそのロールモデルになるのですね。
周りの理解に支えられて
― 楽しくて、また懲りずに(笑)続けたくなりますが、ご家族はどう見ていらっしゃるのですか?
髙橋 妻は、スポンサー集めを積極的にやってくれて、家族も寄付してくれますので環境に恵まれています。
― 子どものころはアメリカにいらしたのですね。アメリカの文化やご両親の影響はあるのでしょうか。
木全 小学校1年から大学までアメリカにいました。最初、父が商社に勤めていて、2年半で帰るようにいわれましたが、父が私と兄のためにアメリカに残りたいと商社をやめて、最終的には、自分で会社を立ち上げました。母も経営なんて全く想像できなかったのに、アメリカで美容院を何店舗かやっていましたから、アクティブな親の影響はあったと思います。
― チャレンジ精神のあるご両親!川野さんは、人のためにということを、小さいときから聞いていらしたのですか?
川野 当時は、ヤオコーの前身である八百幸商店というお店をしていました。父は、わたしが大学に入る前に病気で亡くなりましたので、その後は、母が頑張ってお店の切り盛りをしていました。わたしの子どもたちは、自分が小さいときのわたしとの楽しい思い出が何もないといいます。わたしにも、父や母とのそういう思い出はありません。ただ、母がお店に立って、お客さんと一生懸命に話をしたりする姿は見ておりましたから、わたしにとって人のためにという想いは、母が教えてくれたというか、見せてくれた「あり方」なんだと思います。
― お母様の背中が教えてくれたのですね。川野さんのお子さんたちは、どのように見ていらっしゃるのですか?
川野 長男は亡くなりましたので、次男がヤオコーの社長をしています。また、次女は、公益財団法人川野小児医学奨学財団の事務局長をやっています。子どもたちは、言葉にはしませんが、よくやって来たと思ってくれているのではないでしょうか。
― 26万株寄付されて奥様の反対は?
川野 どんな形で世の中のお役にたてるかということが、お互いの想いです。考え方は一緒ですから、特に相談もしませんでした。
― お二人ともご努力もすごいけれど、ご家族やご両親も素晴らしいですね! 髙橋さんの場合、会社も、運営費用の一部拠出をはじめ、活動を応援してくださっているとか。
髙橋 1か月休むと社長に願い出るのは緊張しましたが、やるのだったら思い切ってやりなさいと気持ちよく言ってもらえて、心強かったですね。社長は、北海道に出張があったときに応援に来て、メンバーといっしょに食事会もしてくれました。
― それは嬉しいですね。そういう会社なら仕事も頑張りたくなります。
川野 リーダーにとって、一番大切なのは人徳です。経営者の多くは、まわりをよく見ています。また、部下も上司をよく見ています。日本オラクルさんの社員の方々は、意識も高いでしょうから、部下の方たちは髙橋さんを尊敬しながら働いているんじゃないでしょうか。
― こういう社員がいっぱいいるといいですね。川野さんは、後輩の浦高の子どもたちを見て、どんな思いがおありですか?
川野 現代の子どもたちの多くは、豊かな物質生活のなかで、不自由なく生活してきましたから、根性みたいなものは育ちにくい状況にあると思います。といって、苦労をしろといっても、そういう場面にならないとなかなかできるものではありません。ですから、少し背中を押してあげることで、こんな経験をしてきなさい、こんな世界もあるんだぞと伝えてあげるべきだと思います。
― まさに応援ですね。
川野 浦高の教育方針は文武両道です。ペーパーテストの成績だけがよければいいというものではありませんから、さらに応援のしがいがあります。また、学校と同窓会の関係も大変よいです。同窓会が学校について関心をもっていると、先生方、とくに校長先生には刺激になります。
― 同窓会と学校がいい緊張感を持ち、好循環でやっていくには、普段からの関係性が大事ですね。
川野 他の学校でもやっていただきたいです。浦高では、毎年1,000万円くらいの寄付が集まります。例えば、同窓生一人ひとりが1回飲みに行くのをやめて後輩の応援のために寄付をする。感受性の高い若者は、サマーセミナーから帰ってくると顔つきが変わります。
髙橋 わたしはニューヨークのYMCAとも関わりがあり、YMCAは、毎年、日本からアメリカのサマーキャンプに高校生と大学生を送りこみますが、みんな、自信のついた顔で帰ってきます。居心地のいいところから、あえてはずれてなにかを経験することは、成長につながりますね。
きっかけづくりに
川野 先ほど養護施設のお話がありました。わたしが現在お付き合いしている山のガイドがいるのですが、彼は世界的に評価されている山岳ガイドです。彼は身寄りがなく養護施設で育ちました。若いときは相当荒れていたそうです。養護施設では、18歳を超えると施設を出なければなりません。社会に出ると、保証人がいないとダメだとか、自分の人生を切り拓いていくためには、たくさんのハンデがあるようです。こうした経験を持つ彼が関わっているのが、児童養護施設の子どもたちをキャンプにつれていく活動をしているNPOです。カナダとアメリカの方がつくった団体だそうですが、それを知って、どうして日本人自身がそういったことをやらないのか、非常に残念に感じました。
― 確かに! 世界的に見て、寄付やボランティアの割合は、日本はまだまだ低いといわれています。
髙橋 今回、活動を拡大するなかで、「自転車」と「社会貢献」のキーワードで興味をもってくださった方が、たくさんいました。社会貢献はしたいけれど、どうすればいいかわからない人が大勢いて、「趣味を通した社会貢献」は、「社会貢献」のハードルを下げるいいきっかけになっていると実感しました。これをひとつの例にして、自分の趣味を生かして、解決したい課題に貢献できる場を広げていきたいですね。
川野 浦高の同窓生もそうです。自分たちの学校は好きだし、後輩たちの役に立ちたいと思っているけれど、やり方がわからない。その点、財団ができたので、よかったと思っています。
― 同窓会はご縁があるから、取っ掛かりとしても気持ちが入りますね。当協会では、寄付川柳 を始めて、寄付に関する川柳を募集しています。応募するのに1,000円の寄付で2句まで、18歳以下は無料です。昨年(2016年)の受賞句には「寄付したと 誰も信じず 犬に言う」とか「スイーツと 天秤掛けて 募金する」など楽しいものがあり、無理なく、楽しみながら寄付をしてみるきっかけになればと思っています。
では最後に、お二人のこれからの展望についてお聞かせください。
では最後に、お二人のこれからの展望についてお聞かせください。
髙橋 来年は、台湾か日本かで迷っています。地方の美しいところを知ってほしいので、海外のサイクリストをたくさん集めたい。世界をテーマに、チームで乗った距離で世界一周4万キロに挑戦する。それをどう実現しようかと考えています。
― 一気に距離が伸びましたね。
髙橋 ことしより2割増ぐらいだと、今回の延長線で考えてしまいます。大きな目標を持つには、発想を変えないといけないので工夫しますし、他の人を巻き込まなくてはいけない。自分自身もチャレンジすることで、その姿勢を子どもたちにも見せたいと思います。
― 工夫して巻き込んで、チャレンジして。仕事の姿勢と同じですね。
髙橋 最近、バランスがボランティアに傾きすぎていて、仕事にも同じチャレンジをしなくてはいけないと、気を引き締めているところです(笑)。
― 川野さんは、同感というようにニコニコと頷いていらっしゃいますが(笑)、川野さんはいかがですか。
川野 変化の激しい先のわからない時代には、リーダーは大切な役割を担っています。これからはしっかりしたリーダーを作っていくことが大切です。リーダーたるべき人材を育成する学校はたくさんありますから、その一つひとつが、若者を育てていくことができるように、同窓会が支援するのもひとつの形です。
― そういう同窓会文化ができるといいですね。
川野 以前、日経新聞の教育欄に取り上げられて、多くの伝統ある学校から問い合わせがありました。すでに、広島県立広島国泰寺高校と福岡県立福岡高校が財団を作りました。今も神奈川県立湘南高校が作ろうとしているそうです。また、北海道札幌南高校では作ろうという活動が始まったと聞いています。埼玉県でもいくつかの学校が動き始めているようです。こうして支援された若者が、それぞれの分野におけるリーダーに育ってくれれば、日本が変わっていくのではないかという夢があります。
― 20周年で賞を受けていただいた取り組みが、未来への希望や幸せにつながると嬉しいです。
今回、お二人とともに、特別賞をお受けいただいた川淵三郎さんは、誕生日に寄付をしていらっしゃいます。当協会では、「誕生日寄付」を広めようと考えています。どんな人にもある誕生日ですが、「してもらう日」だと思うと、そういう環境にないと寂しい日になってしまいます。でも、自分が誰かのために何かをする日になると、新しいつながりが生まれて、幸せになる日になるといいなと思います。
幸せになるために生まれてきた子どもたちのために、みんなでできることをやりながら、よりよい未来をつくっていきたいと思っております。素晴らしいリーダーシップの体現者のお二人にお会いできて、私自身、役得で大変幸せでした。贈呈式(2017年12月12日開催)では青少年のフィランソロピストたちに励ましの声をかけてあげてください。ありがとうございました。
今回、お二人とともに、特別賞をお受けいただいた川淵三郎さんは、誕生日に寄付をしていらっしゃいます。当協会では、「誕生日寄付」を広めようと考えています。どんな人にもある誕生日ですが、「してもらう日」だと思うと、そういう環境にないと寂しい日になってしまいます。でも、自分が誰かのために何かをする日になると、新しいつながりが生まれて、幸せになる日になるといいなと思います。
幸せになるために生まれてきた子どもたちのために、みんなでできることをやりながら、よりよい未来をつくっていきたいと思っております。素晴らしいリーダーシップの体現者のお二人にお会いできて、私自身、役得で大変幸せでした。贈呈式(2017年12月12日開催)では青少年のフィランソロピストたちに励ましの声をかけてあげてください。ありがとうございました。
【ききて】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
(2017年11月14日 当協会会議室にて)
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
<プロフィール>
ジョンズ・ホプキンス大学国際フィランソロピー研究員、総合研究大学院大学教授を経て国立民族学博物館・人類基礎理論研究部教授。その間、政府税制調査会特別委員、内閣府公益認定等委員会委員、国際NPO・NGO学会(本部米国)会長を歴任。著書に「フィランソロピー」、「フィランソロピーの社会経済学」など。
◆ 特別寄稿/No.383
まちかどのフィランソロピスト賞誕生秘話と「慈善契機」の発見
国立民族学博物館・人類基礎理論研究部 教授
出口 正之 氏
1.賞の誕生
日本ではかつて「フィランソロピー元年」と謳われた時があった。1990年を前後として大手企業に社会貢献担当部署が設置され、企業寄付に対する認識が高まりを見せていたからである。その後も、社会貢献からCSRあるいはCSVと名称を変えながら、企業の社会的活動は着実な進展を見せているが、「フィランソロピー」という用語そのものは、とりわけ、90年代半ばには、バブルの崩壊とともに日本社会から消えかけそうになっていた。フィランソロピスト賞が誕生したのは、まさにそのようなときであった。
周知の通り、「フィランソロピー」は「人類を愛する」というギリシア語を語源とし、その行為の背景には人間的な深みを有している。企業ばかりではなく、個人の行いにも「フィランソロピー」は存在している。何とか日本でも個人の寄付文化を広げることができないかと思ってはみたものの、当時、誰もが「キリスト教文化ではない日本社会ではフィランソロピーは育たない」と異口同音に口にしていた。そんな時に、銀座の屋台のラーメン屋さんが300万円を寄付したという小さな新聞記事を目にした。それは数行のベタ記事で、地方版の片隅にひっそりと事実のみが掲載されているだけであった。「何なのだろう?」と小さな疑問が。その記事の背後には、寄付者の深遠な人生が反映されているのではないかと思ったのである。社団法人日本フィランソロピー協会(現・公益社団法人)の髙橋陽子理事長に、「こうした方を顕彰して寄付の深みに触れ、寄付文化を少しでも広めてはみませんか」とお誘いしたところ、髙橋理事長に強くご賛同いただき、賞の構想が練られた。
周知の通り、「フィランソロピー」は「人類を愛する」というギリシア語を語源とし、その行為の背景には人間的な深みを有している。企業ばかりではなく、個人の行いにも「フィランソロピー」は存在している。何とか日本でも個人の寄付文化を広げることができないかと思ってはみたものの、当時、誰もが「キリスト教文化ではない日本社会ではフィランソロピーは育たない」と異口同音に口にしていた。そんな時に、銀座の屋台のラーメン屋さんが300万円を寄付したという小さな新聞記事を目にした。それは数行のベタ記事で、地方版の片隅にひっそりと事実のみが掲載されているだけであった。「何なのだろう?」と小さな疑問が。その記事の背後には、寄付者の深遠な人生が反映されているのではないかと思ったのである。社団法人日本フィランソロピー協会(現・公益社団法人)の髙橋陽子理事長に、「こうした方を顕彰して寄付の深みに触れ、寄付文化を少しでも広めてはみませんか」とお誘いしたところ、髙橋理事長に強くご賛同いただき、賞の構想が練られた。
2.難産のすえ
しかし、それは大変な難産であった。髙橋理事長とともに、推薦母体としてお願いしようと、全国にネットワークを張ったあるマスメディアへ行った。別の賞の推薦母体として、同社が主体的な役割を演じていたことを知っていたからである。ところが、驚くべき反応が返ってきた。「寄付する人には、背後には怪しげな動機があるのですよ。取材していたからよく分かります。寄付者を推薦することなんてとてもできません。寄付文化? 寄付は文化ではないでしょう」と、けんもほろろであった。それは一人の典型的なジャーナリストの感想であるとともに、一つの時代気分の表われだったかもしれない。それほどまでに寄付という行為は社会から素直に受け入れられる素地がなかったのである。意気消沈した筆者を奮い立たせてくれたのは、髙橋理事長の熱意であった。いや、それだからこそ、この賞は必要であり、みんなが推薦者となって、受賞者を発掘していったのである。
次の関門は、社団法人や協会の知名度だ。顕彰に当たっては、必ずご本人に選考委員がお会いすることによって選考すると決めていた。当時はNPOという言葉も日本社会にはなく、社団、財団といっても、何のことかわかる人は少なく、新聞の見出しには、公益法人と出るのは脱税の時と決まっていた。さらに、協会がどんな法人かをチェックするホームページもない。ともかく現在とは全く異なるのである。大手マスメディアが推薦者として間に入ってくれていれば、ずいぶんと楽だろうし、現在でもその思いはあるが、突然「寄付の賞の調査で伺いました」と言っても、怪しまれるだけであった。そこで一計を案じて、第2回目の賞からは、企業の社会貢献担当部署の方に、選考委員になっていただき、企業の社会貢献の一環として(つまり旅費は企業持ちで)、候補者に会いに行ってもらうことにした。これは非常に効果があった。日本は企業社会であり、大手企業の信用は絶大なものがあったし、企業の社会貢献担当者には、出会えることのない方々に会っていただけるきっかけをつくりだせることに繋がった。
こうして「フィランソロピスト賞」が歩みはじめた。第1回贈呈式は、なんと受賞者が「みっともない贈呈式はやめてくれ」と言って、資金のない協会に代わって、費用負担してくれた。あれから20年。「継続は力なり」というが、素晴らしい受賞者によって、この賞は確固たるものとなっていった。思ったとおり、一つの寄付には100のドラマが隠されていた。筆者は、同協会を監督する立場の内閣府公益認定等委員会委員に就任したため、途中、7年間、選考から完全に離れたが、髙橋理事長は一貫して、本賞を牽引していってくれた。筆者の反対をもろともせずに、企業の特別賞や「青少年の部」を創設し、文部科学大臣賞まで出せるようになった。企業の選考委員の方々、協会のスタッフの方々のご尽力もあり、今では本賞は、日本の寄付文化の発展に非常に大きな貢献をしていると思っている。
次の関門は、社団法人や協会の知名度だ。顕彰に当たっては、必ずご本人に選考委員がお会いすることによって選考すると決めていた。当時はNPOという言葉も日本社会にはなく、社団、財団といっても、何のことかわかる人は少なく、新聞の見出しには、公益法人と出るのは脱税の時と決まっていた。さらに、協会がどんな法人かをチェックするホームページもない。ともかく現在とは全く異なるのである。大手マスメディアが推薦者として間に入ってくれていれば、ずいぶんと楽だろうし、現在でもその思いはあるが、突然「寄付の賞の調査で伺いました」と言っても、怪しまれるだけであった。そこで一計を案じて、第2回目の賞からは、企業の社会貢献担当部署の方に、選考委員になっていただき、企業の社会貢献の一環として(つまり旅費は企業持ちで)、候補者に会いに行ってもらうことにした。これは非常に効果があった。日本は企業社会であり、大手企業の信用は絶大なものがあったし、企業の社会貢献担当者には、出会えることのない方々に会っていただけるきっかけをつくりだせることに繋がった。
こうして「フィランソロピスト賞」が歩みはじめた。第1回贈呈式は、なんと受賞者が「みっともない贈呈式はやめてくれ」と言って、資金のない協会に代わって、費用負担してくれた。あれから20年。「継続は力なり」というが、素晴らしい受賞者によって、この賞は確固たるものとなっていった。思ったとおり、一つの寄付には100のドラマが隠されていた。筆者は、同協会を監督する立場の内閣府公益認定等委員会委員に就任したため、途中、7年間、選考から完全に離れたが、髙橋理事長は一貫して、本賞を牽引していってくれた。筆者の反対をもろともせずに、企業の特別賞や「青少年の部」を創設し、文部科学大臣賞まで出せるようになった。企業の選考委員の方々、協会のスタッフの方々のご尽力もあり、今では本賞は、日本の寄付文化の発展に非常に大きな貢献をしていると思っている。
3.深みのある人生と「慈善契機」
最後に、20年の成果の一つを挙げてみたい。日本社会では未だに寄付者本人が自らの寄付を語るのに抵抗があるのかもしれない。候補者に出会うと二つのタイプに分かれる。決して寄付の動機を語ることなく匿名を通す方々と、初めは寡黙ながら、途中から堰を切ったように人生を語る方々とである。前者はそもそもアポイントメントも取れない。寄付の動機はプライバシーの奥深くにあり、決して他者が干渉できないものでもあろうから、顕彰させていただくのは後者である。
まちかどのフィランソロピストには「生まれながらのフィランソロピスト」はいない。その人生の中に、ほぼ例外なく寄付をするに至った契機が存在している。筆者はこれを「慈善契機」と呼んでいる。20年に及ぶ本賞の功績を一つ挙げるとすれば、この「慈善契機」を浮き彫りにしたことである。寄付を語ろうとすれば、「慈善契機」を語る必要があり、それはそのままその人の人生を語ることになる。したがって、普段は謙譲の美徳で寄付のことを数多く語らない方でも、「慈善契機」に触れると、人生をそのまま語らざるを得なくなるのである。これは自慢しているわけでもなければ、売名行為でもない。フィランソロピーと呼べる寄付は人生の深さに基づく行為だから、その理由を語ろうとすれば寄付者の人生そのものを語ることになってしまうのである。そして、自らの寄付を語っていただくことが、他者の「慈善契機」を掘り起し、日本の寄付文化の発展に繋がっていくものと確信している。
まちかどのフィランソロピストには「生まれながらのフィランソロピスト」はいない。その人生の中に、ほぼ例外なく寄付をするに至った契機が存在している。筆者はこれを「慈善契機」と呼んでいる。20年に及ぶ本賞の功績を一つ挙げるとすれば、この「慈善契機」を浮き彫りにしたことである。寄付を語ろうとすれば、「慈善契機」を語る必要があり、それはそのままその人の人生を語ることになる。したがって、普段は謙譲の美徳で寄付のことを数多く語らない方でも、「慈善契機」に触れると、人生をそのまま語らざるを得なくなるのである。これは自慢しているわけでもなければ、売名行為でもない。フィランソロピーと呼べる寄付は人生の深さに基づく行為だから、その理由を語ろうとすれば寄付者の人生そのものを語ることになってしまうのである。そして、自らの寄付を語っていただくことが、他者の「慈善契機」を掘り起し、日本の寄付文化の発展に繋がっていくものと確信している。
機関誌『フィランソロピー』2017年12月号/No.383 おわり