第1回
便利になったけれど
先日、地下鉄東西線の早稲田に行く用事がありました。通勤で使用しているICカードの定期券で中央線に乗り、中野駅で乗り換え早稲田に向かいました。何の気なしに、カードで改札口を通っていますが、定期区間外の料金が引き落とされ、JRでない地下鉄の料金も下車駅で自動精算されました。本当に、人の手を借りずに便利な時代になったものだと感じました。が、誰とも会話せずに、目的地まで、簡単に行ってしまうことも再認識しました。そのICカードは、バスの利用にも当たり前のように使用されています。
私が小さい頃は、路線バスにも運転手とは別に車掌さんが車内にいました。乗車してくるお客さんに行き先を聞き乗車券を渡しながら、次の停留所をアナウンスしたり、右折左折の注意喚起をしたりするなど、笑顔で対応していました。今考えると、車掌さんは乗客者各々の行き先を覚えており、下車を忘れそうな場合は声かけるなど、車内のマルチサービス職でした。その後、ワンマンバスが主流となり、車掌さんは昭和の思い出となりました。
電車においても、駅の乗車券窓口で行き先を言い切符を購入し、改札口で慣れた手つきの駅員の方から切符にはさみ(パンチ)を入れてもらい、目的地の改札口で駅員の方に切符を渡すという流れでした。少なくとも切符購入では、言葉を発します。また、改札口でも会話には至らなくとも、切符の受け渡しという行為で他者との関わりがありました。世の中が便利になった今、コミュニケーションを取らずとも、生活が成り立つ時代となりました。中には、コミュニケーションをあえて取らない生活スタイルを好む人も増えつつあると実感します。
それでは、学校現場はどうでしょうか・・・。
発達障害児童・生徒が増えつつあるのも事実ですが、発達障害に関わらず、言葉が足らなかったり、言葉がきつかったり、言葉が場に合わないなど、コミュニケーションがうまくとれず、トラブルになることも多々あります。学校は社会の縮図でもあり、子どもたちを実社会に飛び立たせるためのシミュレーションの場でもあります。相手の表情を見て、自分が伝えたいことを、自分の言葉で確実に伝えることが求められる時代になりました。教育活動の中で、意図的にそのような場面、状況を作っていくことも大切ですが、日々の生活で「あいさつ」をする習慣が第一歩かと思います。学校現場では定説ですが、「相手の目を見て話をしなさい」とよく言われます。挨拶も同様に、相手の顔を見て「あいさつ」という発信行為を励行させる必要があります。相手の目の奥には心があります、相手の顔には表情があります。科学技術の進展で Face to Face の必要性、機会が少なくなる今、あいさつから始まるコミュニケーションを大切にしたいと痛感します。
昔、切符売り場で駅員さんから「はい、中野まで・・ね」と、ぶ厚い切符と心の温もりを手渡された時の気持ちを、子どもたちにも感じてもらうためにも。