夏休みの定番「ラジオ体操」
「新しい朝が来た、希望の朝だ…」、80余年の歴史を持つラジオ体操の歌である。テレビでも「みんなの体操」が毎朝放映されているが、やはりラジオ体操の方が国民レベルの体操と言えよう。学校現場は、既に夏休みだ。地域連携が必要とされる公教育では、小学校を中心にラジオ体操の推進をPTAの協力を得ながら推進している。特に夏休みは各地の学校の校庭や公園でラジオ体操が行われていると思う。
私は、小学校の低学年時代を下町で過ごした。私の夏休みは、ラジオ体操から始まる。友だちと近くの公園で開催されるラジオ体操に、首からカードをぶら下げ、ランニング姿にゴム草履で出かける、まさに映画の一シーンのような、下町の横丁から朝が始まった。まずラジオ体操の歌を声高らかに歌う。第一体操は、普通に取り組めるが、「続いて、第二体操…」のアナウンスでメロディーが変わると、どうも第二体操のはじめの動きが恥ずかしく手を抜いていた。それでも周りを見ると、地域の老若男女が集まるラシオ体操に、何らかの迫力と共に地域の一体感を子ども心にも感じ得たものだ。体操を終えると、私たち子どもたちは、下町の朝風情を楽しんだ。まずはリヤカーの金魚屋を追いかける。和金の中に存在感を示す黒い出目金を見つけ幸せ感を得てから、金魚屋の主人とたわいもない会話を交わす。大通りから、豆腐屋のかん高いラッパが聞こえると、会話の途中でも自転車の豆腐屋を追いかける。日によって出来たてのガンもどきの失敗品がもらえるのだ。今でもあの味を覚えている。そして、朝風情の真打は、氷屋である。当時、電気冷蔵庫のある家は少なく、氷で1日の冷蔵を保つのだ。朝、各家庭から注文を受け、路上で大きな氷の塊を特別なノコギリで、シャリシャリと規定の大きさに切る。その時に飛び散る氷の冷気を、私たちは身を小さくして全身で感じ取る。時折、飛び散る氷の破片は宝物である。そんな、町中朝探検をしている際も、近所の年配者から声をかけられたり、叱られたり、おやつをもらったり、心のキャッチボールがあった。家に帰ると母親から「また、遊んで来たね、もう。味噌汁が冷めているよ」と怒っているような呆れ返っているような決まりフレーズがあったものだ。
今年は、スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会)が開催される。私の勤務する杉並区は10月、デモンストレーション競技であるラジオ体操の会場となっている。私も職業柄、この夏、地域のラジオ体操に足を運んでいるが、地域の宝である子どもたちを見ることは少なく、子どもたちを見守る立場である地域の年配者の方々を多く見る。高学年児童は夏休みの塾通いに合わせての起床故、ラジオ体操どころではない。
本来、認知学習は教科指導を中心に学校教育で培われ、非認知学習は地域での活動や体験活動を通して培われるものである。その意味において、夏休みは格好の非認知学習の場であるのだが、現実は認知学習優先となっている。読者の多くの方々は、非認知学習による「生き抜く力」の醸成が理解されていると推察する。是非、次世代を担う子どもたちの健やかな育成のため、環境が整うであれば、親子でラジオ体操に参加し、「新しい朝、希望の朝…」を迎えて欲しい。
当協会機関誌『フィランソロピー』No.357/2013年8月号 に掲載