ホーム > フィランソロピー事業 > 顕彰 > まちかどのフィランソロピスト賞
社会に役立つ寄付を行なった人を顕彰する『まちかどのフィランソロピスト賞』。
2006年度は、全国より、一般部門54件、青少年部門46件のご推薦をいただき、選考委員による書類選考およびヒアリング選考を経まして、下記の通り、受賞者が決定しました。
第9回「まちかどのフィランソロピスト賞」受賞者
- まちかどのフィランソロピスト賞
伊倉 二郎(いくら・じろう)さん/神奈川県相模原市 - 特別賞
馬渕 隆一(まぶち・たかいち)さん/千葉県松戸市 - 青少年部門
愛知県高校生フェスティバル実行委員会/名古屋市熱田区
沖縄市立宮里(みやざと)中学校/沖縄県沖縄市
贈呈理由
まちかどのフィランソロピスト賞 伊倉二郎さん
伊倉二郎さんは、1926年、静岡県御殿場市に生まれる。生家は小作農家、12人兄弟で貧しい暮らしだった。姉たちが奉公に出ているのを見て、自らも早く働いて家計を助けたいと14歳で鉄道省に入省。採用試験時、解答用紙が白紙であることを見た隣の席の秀才学生(隣村出身)が答を記入してくれたおかげで採用となるがその秀才学生は身体検査で不採用、戦争中に死亡したことを聞き、他人の命をもらったような思いを持つ。
また、同省では車両修理工として勤務するも、作業中の事故で大やけどを負った。「足を切断しなければ助からない」といわれたが、母親はどうしてもそれは忍びない、と退職させ、地元の獣医に懇願、その思いが通じ4年半をかけて治癒。その獣医は治療代を1円も受け取らなかった。復職も果たし、母や医師の献身的な治療や看護によって命を与えられた、という感謝の念を強く持つに至る。
終戦後、もはや国に依存するのではなく、自らの考えと力で生きようと「人生八十年計画」を立て、子どものため、平和のために社会に役立つことを決意、子ども会を設立。その後、給与の三分の一を子ども支援はじめ社会活動に充てる生活を続ける。原水爆禁止運動、公民館運営審議委員としての地域づくりなどの活動に従事する。退職後、「ひかり幼児園」設立。「子どもたちのために戦争のない世界を作ろう」、とその敷地内には平和祈念の碑を建立。平和祈念集会は今も続けている。さらに相模原市在住の私費留学生に年間6万円の奨学金を支給する相模原国際奨学基金を創設。274名の奨学生が巣立った。この資金は、駅頭に立っての廃品回収などで確保。2年前、脳梗塞で倒れそれは断念したが、その後は、ぶどうの鉢植えを栽培・販売して資金に充てている。
80歳を期に幼児園の閉園を決め、2006年、園地の一部、580平方メートル(8,000万円相当)の土地を子どもたちのための平和祈念公園として相模原市に寄付。平和のため、次代を担う子どものために、自らの財と汗を使い、志と愛を貫いてきた生き様は「まちかどのフィランソロピスト」としてふさわしいものである。
特別賞 馬渕隆一さん
馬渕隆一さんは、1932年、香川県高松市に生まれる。実家はブリキ関係の工場を営んでいた。父親は経営者だったが、仕事の進め方だけを番頭に話し、自らは野良仕事をし収穫を従業員らに分け与えるという暮らし。戦争が激しくなり食糧難時には会社の株を売却。その収入で田畑を購入し耕作、高校に進んだばかりの隆一氏も早朝から夜遅くまで働き手として借り出され、結局高校を中退せざるを得なくなった。同氏はこのときを「仕事の中で最も過酷だった」と振り返るが、ものづくりの原点を教わった時期でもあった。
1954年、マブチモーター株式会社の前身である東京科学工業株式会社を、兄・馬渕健一氏とともに創立。専務、社長を歴任し、2003年、会長に就任。1996年、同社のベトナム工場を設立した際、現地で従業員を採用したくても字が読めない、計算ができない人が多いことを痛感。また、子どもたちが生活のために勉学よりも仕事を優先せざるを得ない状況を知り、「日本は他のアジア諸国よりも、一足先に恵まれた生活をできるようになったのだから、アジアの一員として、他の国を支援する義務がある」「どんな人にも、生まれてきてよかったと思える人生を歩ませたい」と、2005年、自社株の持分約90億円相当と、現金15億円を出捐、東南アジアや中国などから年間20人程度の留学生を日本に招き、学費や生活費を支援するマブチ国際育英財団を創設。
マネーゲームに翻弄されがちな今日、自らの成功と財をもって若者の育成にかけるその生き様は、若者に夢と目標を与えるものとして、さらに、公を担う民間人の責務を体現するものとして、敬意を表するものである。
青少年部門 愛知県高校生フェスティバル実行委員会
愛知県高校生フェスティバル実行委員会は、愛知県下高校生有志800名で構成され、ボランティア活動や文化活動を行なっている。阪神大震災の折には現地救援活動に加え、親を亡くした中・高校生に奨学金を贈るための募金活動を開始し、これまでに423人、計2,499万円の奨学金を贈っている。
また、経済的理由で学ぶことを諦めざるを得ない私立高校生に奨学金を支給する「愛知私学奨学資金財団」が財政難に陥っていることを知り、1999年から、「まだ見ぬ仲間を救おう!」というスローガンのもと、1億円を目標に募金活動を開始。毎月の街頭募金および学校行事等で、地道に寄付を呼びかけた。その姿は多くの高校生、地域住民の共感を呼び、「1億円募金活動」の輪が広がり、2006年4月、ついに1億円を達成した。「愛知私学奨学資金財団」は1976年の設立以来、経済的理由で退学する生徒たちを救おうと、月額1万円(年額12万円)を無利子で貸与。これまでに奨学金を給付した1,876人のうち、613人が1億円募金によるものという。同じ学生としての、やむにやまれぬ熱い思いが果たした募金は、若き学徒のすがすがしいメッセージとして、同世代の若者に希望と温かい勇気を与えるものである。
青少年部門 沖縄市立宮里中学校
同校1年7組(比嘉司教諭、生徒数38名)では、総合学習の一環として、福祉・ボランティアをテーマに、空き缶/不用品/ベルマーク/募金等の「集める活動」に取り組んでいた。「誰かのためになりたい」「貧しい人のために何かしたい」という生徒の意思に応え、担任教諭は、ボランティアの意味、目的を考えるための情報収集を促した。
生徒からの提案で、沖縄市で活動する国際協力の専門家、池間哲郎氏(特定非営利活動法人アジアチャイルドサポート 代表理事)の講演会を開催。貧しい国で暮らす子どもたちの現状を知り、自分たちの生活との格差に大きなショックを受けた生徒たちは、こうした子どもたちや地域のために何かをしたいと、ショッピングセンターや街頭での募金活動を企画。ポスター作成、チラシ配布、事前のリハーサルなど綿密な計画による実行の結果、2日間で29万円を集めた。2006年6月、募金はミャンマーの集団井戸建設に活用され、そこには、「輝け未来、命の水」と彫ったプレートが掲げられた。
38名の生徒たちの、「人の役に立ちたい」という素直な思いを引き出し、それが確かな結実をもたらした。総合学習という機会を、「共に生きる」ことを学ぶ実践として生かしたことは、教育の意味を捉えなおすうえでも多くの示唆を与えるものである。また、人間は本来、他者へのいたわりの心を持っていることを、身をもって示した若者たちに、心からの拍手と感謝の気持ちを送りたいものである。