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贈呈理由
まちかどのフィランソロピスト賞 今野 忠成 氏
神奈川県川崎市在住
今野忠成さん(競馬騎手)―児童養護施設に毎年50万円を寄付。
競馬の騎手である今野忠成さんは、1996年から、児童養護施設「聖園(みその)子供の家」に、獲得賞金から毎年50万円の寄付を行っている。この施設は今野騎手自身が家庭の事情で小学3年から中学を卒業するまで過ごした施設であり、毎年末に本人が直接寄付金を届けている。 寄付のきっかけは師匠の鈴木敏一調教師から、「今のお前があるのは施設のお陰。恩返しをしたらどうだ」と言われたこと。 年収200〜300万円の年も、レース中の落馬で大怪我をして収入のない年も、変わらず寄付を続けてきた。寄付金は施設の備品類の購入など、入所児童の生活環境整備に充てられている。 2007年9月には、JRAウインズ汐留で行われた「今野忠成騎手トークショー」での、今野騎手の勝負服やステッキなどのチャリティーオークションの売上金全額も、合わせて寄付された。 。まちかどのフィランソロピスト賞 三島 治 氏
静岡県磐田市在住
三島治さん(寝具店経営)―マラリア予防としてアフリカへ蚊帳を寄贈。
静岡県磐田市の寝具販売店「菊屋」経営の三島治さんは、アフリカのマラリア対策用として、蚊帳を寄贈する活動を1995年から続けている。 「菊屋」は1952年創業。1996年インターネットを使って蚊帳の販売を始めたところ、売り上げが年々増え、当初の25張から2000年には海外も含め300張の注文があったという。アフリカでは蚊が媒介する風土病のマラリア対策として、日本の蚊帳が大きな威力を発揮していることを知り、ユネスコなどを通じた寄付も続けている。蚊帳自体も、健康に留意し、化学薬品を使用しない麻素材にこだわり続けている。 「健全な精神は健全な眠りに宿る」ことを身上とし、蚊帳を日本を救うきっかけとしたい、と日本、世界へと蚊帳の魅力を拡げている。 。
特別賞 赤星 憲広 氏
1976年愛知県刈谷市に生まれた赤星氏は、小学生時代はサッカーが得意であり、愛知県代表のフォワードに選ばれたこともある。野球は、地元の少年野球チームのコーチをしていた父親の影響で、小学6年の時から始め、大府高校時代は2年連続で選抜高校野球大会に出場している。亜細亜大学に進学し東都大学リーグで活躍したが、この間、東都大学野球連盟史上2位の48盗塁を記録した。 大学卒業と共に社会人野球選手として活躍、2000年のシドニーオリンピック代表選手に選出される。オリンピック後、「あの足は戦力になる」として、当時阪神タイガースの野村克也監督に見出され入団。 赤星氏は福祉活動に熱心であり、「ハンディキャップのある人にも球場に来て野球を観戦してほしい」との思いから、2003年より、そのシーズンで記録した盗塁数に応じて全国の病院や福祉施設に車椅子を寄贈する活動を続けている。現役選手で通算300盗塁を達成している数少ない選手の一人であり、これからも、車椅子を必要とする人たちの喜びの声が聞かれる活動である。
青少年部門 戸津 亜里紗 さん
東京都町田市在住
戸津亜里紗さん(専修大学4年生)―インドネシアの障害児へ車椅子を寄贈。
専修大学4年生の戸津亜里紗さんは、10年前からインドネシアの障害児へ中古車椅子を贈り続けている。脊髄性筋萎縮症を患う戸津さんは、生まれつき全身の筋力が弱く、小学校にも車椅子で通学をしていた。小学5年のときに電動車椅子に切り替えた際、「いらなくなった車椅子を誰かに譲ろう」と考えたのがきっかけ。国士舘大学政経学部教授である父正勝さん(66)と伝統的なアジアの布を使う服飾家の母薫子(かおる)さんとともにインドネシアをたびたび訪れていたが、車椅子をほとんど見ないことが気になっていた。同国では特に子供用は高価で貴重なため、障害児学校にさえ行き渡っていない。アジアに車いすを贈るプロジェクト「空飛ぶ車イス」と共に、活動の輪を広げつつある。
選考委員
* 選考委員長 *
- 四方 洋(NPO法人ネイチャースクール)
* 選考委員 * (敬称略/50音順)
- 東 富彦(日本電気株式会社)
- 上垣 智則(三菱地所株式会社)
- 大坂 葉子(キッコーマン株式会社)
- 中島 健三 (大阪ガス株式会社)
- 山本 直之 (関西電力株式会社)
- 高橋 陽子 (社団法人日本フィランソロピー協会理事長)