巻頭インタビュー

Date of Issue:2022.2.1
巻頭インタビュー/2022年2月号
安藤忠雄さん
あんどう・ただお
 
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞。1995年建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー賞」を授与される。1997年より東京大学教授、2003年同大学名誉教授。「瀬戸内オリーブ基金」、東京湾の「海の森プロジェクト」「桜の会・平成の通り抜け」など、数々の社会貢献活動にも力を注いでいる。
子どもたちには 本を読ませて 考えさせて 遊ばせて
もっと自由にさせたらいい
建築家
安藤 忠雄 さん
2020年7月大阪・中之島に、建築家・安藤忠雄さんが設計を手掛け、寄贈した「こども本の森 中之島」がオープンしました。「地球は一つ。これからの社会を担っていく子どもたちには、元気よく自由に世界に向け羽ばたいてもらいたい。そのためには幼いころから本を読んで、豊かな感性や想像力を育むことが大切です」というメッセージを寄せた安藤さんに、子どもたちの教育にかける思いを聞きました。
お金は、自分の体の中に蓄える
― 安藤さんは、若いころに海外に行かれて、独学で建築を学ばれたそうですね。
安藤 中学校2年生のときに、平屋建ての長屋の自宅を2階建てに改造しました。その時働いていた大工さんは食事もとらずに一心不乱に仕事をしていましたが、実に楽しそうでした。自分なりに工夫して、うまくできたら納得している。その姿を見ていて、大工とは何かとてつもない魅力のある仕事なのではと思いました。私は祖父母に育てられましたが、祖母は「気合を入れて、納得できる人生を生きなさい」とか、「お金は無かったら困るけれど、貯め込んでも仕方ない」とよく言っていましたね。
1965年、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパを一人であちこち旅してマルセイユまでたどり着いたときに、ここまで来たならアフリカに行こうと思って、ケープタウン、マダガスカル島にも行ってきました。そのときに「地球って一つだな」と実感したんです。人間はみんな一緒に楽しく生きなくてはいけない。
日本人は失敗することが嫌いでしょう。小学生でも中学生でも塾に行って、一流の高校、大学に行って、一流の企業に入る。だから同じ考え方の人ばかりが集まる。1960年代は高度成長期でしたが、隣の家が冷蔵庫を買ったからうちも買う、車を買ったからうちも買いたい。千里にニュータウンができましたが、みんなそこに憧れてマンションを買いたがる。同じものを目指すわけですが、良くないと思ってもそういう性質が身に沁みついてしまっている。
― みんなと同じ、外れるのは怖い。同調圧力になってしまうのでしょうか。安藤さんが海外にいらしたのは何がきっかけだったのでしょうか。
安藤 当時、アルバイトで貯めたお金が70万円ぐらいありました。お金は持っていても仕方がないから、経験に換えて自分の体の中に入れておいたほうがいいよと祖母から言われていたので、貯めたお金で旅に出て、世界を見てまわったのです。私は経済的な理由と学力の問題もあって大学に行けませんでしたが、行けないのなら行った人より勉強しなければならないという信念を持ってがんばりました。同じように、お金が無くても、お金がある人より豊かな生活を送ることはできると考えています。
祖母は大阪の天保山で陸・海軍の食糧基地をやっていましたが、戦後すぐに全部没収された。けっこう大きな商売をしていたのに、一気にお金が無くなった。しかし何とか生活はできる。商売人は次のことを考えられるんですよ。商いは、次のことを考えてやらなければならないと思います。
― 安藤さんは大病なさったのに現在のご活躍を見ると信じられません。
安藤 私は2009年に胆のう、胆管、十二指腸を取って、2014年に膵臓と脾臓を全部取りました。今は元気に仕事をしていますが、1日1万歩、欠かさず歩いたり、ジムで体を動かしたり、食事は1回に40分ぐらいかけて食べるなど、臓器が無いなら無いなりに、健康に注意しながら、無理はしない生き方を心掛けています。
― えーっ、そうなんですか?現実に対しては最新の注意を払いながら、同時に、朗らかに未来のために前を向いて生き切る。圧倒されます。
自然と共に生きるという感覚を大切にしたい
安藤忠雄さん
― 建築家になられて初めてのお仕事で、有名な「住吉の長屋」をつくられましたね。
安藤 「住吉の長屋」は、間口が3メートル、奥行きが15メートルという、いわゆる「ウナギの寝床」といわれる長屋の建て替えで、三軒長屋の真ん中を切り取ってコンクリートの箱を挿入したような住まいです。箱の中央3分の1が中庭です。1974年に頼まれて1976年に完成しました。当時は便利で快適で格好がいいという家をみんなが目指していましたが、「住吉の長屋」は格好はともかくとして、使いにくいし、不便で合理的でない。部屋を移動するのに、雨が降ったら傘を差さなくてはならない。多くの人はそれが不便だということを言うわけです。
― それ、当然だと思いますが(笑)。
安藤 でも私は、この庭から入り込む「自然の移ろい」こそが、狭い住宅の中に無限の小宇宙を作りだし、生活に潤いをもたらすのだと確信していました。
その後、友人のコシノヒロコさんが、モダンでデザインのきれいな家をつくってほしいというので引き受けました。1981年にできたのですが、床暖房をつけたのに、彼女は元気だから使わない。でもテレビで、「安藤さんの家はいいけれど寒い」とか言っている。その前に、床暖房は入っているけれども、私は元気だから使っていないと言ってもらわないと(笑)。コシノさんは85歳、「住吉の長屋」の住人は81歳で、まだそのまま住んでおられます。驚くほどお元気なお二人を見ていると、住宅はある程度不便で寒いのがいいのかもしれないと思うくらいです(笑)。便利な快適さよりも、自然と共に生きるという感覚を大切にしたいと思っていますが、それを実現できたのは、住み手にも理解と覚悟があるからでしょうね。
産んだらどう育てるかを考える
図書館外観と青いリンゴ
 
「こども本の森 中之島」外観。青いリンゴのオブジェは安藤さんのデザイン。
「いつまでも青春を生きてほしい」という願いが込められている。
― 資産家や成功された方で寄付をなさる方はいらっしゃるけれども、安藤さんはご自分も多額な寄付をなさいますが、それだけでなく、周りに働き掛け寄付を呼び掛けておられます。ファンドレーザーでもありますよね。
安藤 「こども本の森」では、運営費を募金で賄うため、一口年間30万円を5年間にわたり支援してくださる企業を募りました。支援を取り付けるため、80軒以上の企業を回りました。集める側の気迫がないと寄付は集まらない。だからお願いするときは必ず一人で行きます。
最終的に610口集まりました。運営費は合計10億円集まるめどが立っています。年間5,000万円ですから20年間はなんとかなる計算です。運営の責任は大阪市ですが、「こども本の森」でも、ショップでいろいろなグッズを売って少しでも運営費を捻出しようとアイデアをひねっています。建物は完成したら終わりではなく、そこからどう育てていくかを、真剣に考えなければいけません。
― 事業家の感覚がおありなので、より大きな貢献をしようと、動かれるのですね。
安藤 カーネギーホールをつくった鉄鋼王のカーネギーは66歳で引退し、会社を売却しましたが、「自分の失敗は、会社を売って得たお金を全部社会に返せなかったことだ」と言ったそうです。そしてアメリカ国内に2,000もの図書館をつくりました。
私も、次の時代に何を残すかと考えた時に、子どものための図書館をつくるのが良いのではないかと考えました。当時大阪市長(現大阪府知事)だった吉村洋文さんに提案したところ、賛成してくださり、実現に至りました。土地代は大阪市、建築費は私、運営費は民間からの寄付です。同じ中之島にある大阪市中央公会堂は1911年に岩本栄之助が100万円を寄付してつくった建物ですが、彼は完成の一年半ぐらい前に株で失敗して、完成を見ずに自殺してしまう。その無念もは らせないかと。
岩本栄之助(いわもと えいのすけ)は、大阪の両替商「岩本商店」の次男として生まれた。証券取引所で働く少年たちのために私財を投じて塾を開く。渋沢栄一が率いた「渡米実業団」に参加し、米国の慈善事業や公共事業に感銘を受けた。
― 安藤さんの動機はいつも「~のために」なんですね。だからこそ、人に、堂々と、時々強引に(笑)寄付を呼びかけられる。「子どものため」への共感が周りを動かしてできた「こども本の森」なのですね。
安藤 2021年7月には「こども本の森 遠野」(岩手県遠野市)が開館し、2022年3月には阪神淡路大震災の「慰霊と復興のモニュメント」がある東遊園地(ひがしゆうえんち)に「こども本の森 神戸」(神戸市)がオープンする予定です。
東日本大震災の復興への取り組みとして、2011年に東日本大震災遺児育英資金「桃・柿育英会」を立ち上げました。震災で遺児となった子どもたちのために、毎年1万円の寄付を10年間続けてくださる賛助会員を募ったところ、設立して半年で1万7,000人が賛同してくれました。2億円を一括で寄付してくださった企業などもあって、寄付総額は52億円になり、被災3県を通じて約1,900人の遺児に支給されました。
日本にはなかなか寄付文化が根付かないとよく言いますが、捨てたものではないと思いましたね。
東日本大震災遺児育英資金「桃・柿育英会」は、10年にわたり被災地の遺児・孤児への支援を行い、2020年に活動を終了した。
図書券壁面
階段やブリッジ通路が張り巡らされ、壁一面に本が並ぶ
― 寄付をするかどうかもある種の身体反応ですから、そういう意味ではお祖母様の影響は大きいですね。
安藤 そうですね。この中之島は、子どもたちの天国にしなければいけないと思っています。アート引越センターの寺田寿男会長が、中之島公園に「温度計付き時計」を寄付したいと申し出てくださり、私がデザインを担当しました。「地球の体温計」と名付けられたこの温度計を見て、子どもたちにも日頃から地球温暖化に関心を持ってほしいと思います。環境問題については、それぞれの企業が真剣に取り組んでほしいですね。
必要なのは教育 考える子どもを育てなければならない
― 難しいこともあきらめないでやり続けることですね。やはり子どものころからの教育でしょうか。「こども本の森」に来ている子どもたちには希望が持てますね。
安藤 世界平和や地球温暖化のためにがんばらなくてはと絵を描いてくるような、おもしろい子どももいます。彼らにはもっと本を読んで、音楽を聴いて、絵を描いて、好きなことに自由に挑戦してほしいと思います。その子によって何が自由かはわからないから、自分で考えて、まずはやってみることです。
でも今の子どもは大変です。12キロのランドセルを背負って、さらに両手に大きなカバンを下げて毎日学校に通っている。それこそ合理性がない。私の祖母は、「学校で宿題をしてから帰ってきなさい」と言っていました。教科書は学校に置いて来いと。宿題をやって学校から帰ってきたら、野球をやったり相撲を取ったりする。放課後は、子どもが子どもらしくできる大切な余白の時間。でもいまはその放課後がない。子どもたちはひたすら塾通いで、遊びたいけれども遊べない。私は下町で育ったから、生活環境には音楽や文学などの文化的要素は皆無でしたが、自由だけはありました。今の子どもたちにはその自由がない。
― 子どもへの信頼と、いざとなったら、責任はとるという教師や親としての覚悟があったのでしょうね。
安藤 東京大学の医学部に呼ばれて時々講義をしに行きますが、顔が小さくてスタイルが良くて、東京の山手線(環状線)の中に住んでいて、金持ちの子どもが多い。みんな顔が一緒。こういう無個性な若者たちが物事を決めていく今後の社会に不安を感じずにはいられません。
日本人は、マスク、手洗い、うがいをちゃんとやっているし、感染症も非常に抑えられていた。日本人の“右へならえ”の姿勢がこれを成功させているかもしれない。でも、これからは人と同じようなことを同じようにしている社会は変えなくてはならないと思う。
― そのためには、自分で考えて自分で判断することが大事ですね。今は、正解を求め待つ、思考停止に陥っているように思います。考えるベースとして「地球は一つ」という原点は大きいのではないでしょうか。
安藤 世界の人口は、1960年が30億、いまは80億ぐらいでしょう。特にアフリカは増え方が違う。ダカールで酋長の家に招かれたことがありますが、子どもが20人ぐらいいる。でも小さいうちに死亡する率も高い。アフリカを助けな いと感染症は収まらないでしょう。
― コロナ感染症は、まさに地球が一つであるということを教えてくれていますね。
安藤 地球は一つなのに、干ばつで数百万人死亡するとか、感染症でも死亡者はどんどん増えている。
2年前、アフガニスタンで医療活動やかんがい事業など人道支援を続けてこられた中村哲さんが、現地で凶弾に倒れ亡くなられました。本当に素晴らしい志を持った方でした。地球の問題に積極的に取り組んだ中村さんのような方こそ、もっと称えられるべきだと思います。日本人に、偉大な人がいたということを後世に伝えることが大事でしょう。
― そういう意味では、安藤さんがなさっていることもなかなかできることではない。
安藤 いやいや、私はがんばっていないし、できる範囲のことしかやらない。私にできることは、建築だけ。世界的な人道支援家としても有名なU2のボノから、会いたいと言われ、25年ぐらい前に光の教会(大阪府茨木市)で会いました。あそこで彼が「アメージンググレース」を歌ったんですが、音楽は人の心に永久に残ります。音楽は最後に残る人間同士のコミュニケーションだと思う。圧倒的な力があるし、何より心に響く。建築はどこまでいっても建築であって、音楽のような感動を与えることは難しい。
U2:グラミー賞受賞22回を誇るアイルランドのロックバンド。ボーカルとギターを担当するボノは、国際的な慈善活動家としても知られている。
 
階段下の秘密基地のようなスペースは、
子どもたちに大人気
― 光の教会の十字架から入る太陽の光には感動しました。建築は、それ自体で完成するものではなく、自然や人間が関わって初めて完成するものなのでしょうか。だから住み手も覚悟が必要ということをおっしゃったのかなと想像します。未来に向け、専門性を超えてできることは何でしょうか?
安藤 自分の心の中に残るものは何かということを考えたら、それぞれが幸せな世界をつくれるのではないか。みんなが希望をもって生きないといけないけれども、日本の社会はなかなか難しい。考える子どもを育てないと未来はあり得ません。それに科学・技術レベルの高い人を育てるにはどうするかということを国はもっと考えなくてはいけない。教育こそが重要な課題です。
― 自分で考えることから始めるということですね。「こども本の森」や京都大学のCFプロジェクト(Create the Future Project)奨学金なども、それに一矢報いるものですね。
CFプロジェクト奨学金:京都大学の次世代研究者を目指す学生が経済的理由でその志をあきらめることがないよう支援するプロジェクト。
CFプロジェクト奨学金https://www.kyoto-u.ac.jp/
安藤 役に立つかどうかは別にして、それなりに育っていくでしょう。そうなってもらわないと困ります。生きていくのはおもしろく、楽しくなければいけません。
― 覚悟を持って楽しむ、でしょうか。そして、次世代にしっかりつなぎ託す、ですね。ありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2021年12月7日「こども本の森 中之島」にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー2022年2月号 おわり