< 表紙と目次
Date of Issue:2024.8.1
◆ 巻頭インタビュー/2024年8月号
たまむら・とよお エッセイスト・画家。1945年東京生まれ。1971年東京大学仏文科卒。在学中にパリ大学言語学研究所に留学。1972年より文筆業を営む。1991年長野県東部町(現東御市)に移住して農園を開く。2004年ヴィラデストワイナリーを開業。2014年日本ワイン農業研究所株式会社を設立。2015年千曲川ワインアカデミーを開講。
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ワインとは土地の個性を生かし時間の経過を楽しむもの
株式会社ヴィラデストワイナリー オーナー
玉村 豊男 さん
北アルプスを望み、眼下に千曲川が流れる南西向きの傾斜地に、美しく雄大なブドウ畑が広がっている。玉村豊男さんが長野県東御市(とうみし)の荒れ地を開墾し、ブドウ栽培とワイン造りを始めて30年になる。この風景に魅せられ、ワイン造りに挑む人たちも増えた。ワインを核に、農業、観光、地域づくりにかける思いを、玉村さんに聞いた。
成功する当てもなく始めたワイン造り
― 玉村さんは、体調を崩されたことをきっかけに、軽井沢から東御市に移られたそうですね。
玉村 1983年に軽井沢で暮らし始めたのですが、その後病気になって、1991年にここに移住しました。最初はハーブや西洋野菜を栽培する家庭菜園のつもりだったんですが、3500坪の土地を買っちゃったんですよ。
― 家庭菜園でその広さを買ったのですか!
玉村 そうなんです。フランスにいたからワインは好きだし、肝臓を悪くしていたので、少しワインを飲めるくらいの健康を維持しようと思って、野菜以外にブドウもつくることにしたんです。最初はマンズワインの工場に持ち込んで委託醸造してもらっていたのですが、まだブドウが若いし、まずいワインしかできない(笑)。委託料も高いんですが、免許を持っていないので販売もできない。
困ったなと思っていたところ、宝酒造株式会社にワイナリーの建設計画があるというので、東御市に誘致したんです。身銭を切ってブドウ畑も広げたし、社内から選抜した研究者たちを実地で学ばせたりしましたが、事情があって頓挫してしまった。それで仕方なく、自分でワイナリーをやることにしたんです。そのときに一緒だったのが小西超(とおる)さんで、彼は宝酒造を辞めて、うちの栽培醸造責任者になってくれました。
困ったなと思っていたところ、宝酒造株式会社にワイナリーの建設計画があるというので、東御市に誘致したんです。身銭を切ってブドウ畑も広げたし、社内から選抜した研究者たちを実地で学ばせたりしましたが、事情があって頓挫してしまった。それで仕方なく、自分でワイナリーをやることにしたんです。そのときに一緒だったのが小西超(とおる)さんで、彼は宝酒造を辞めて、うちの栽培醸造責任者になってくれました。
― 行き当たりばったりのように見えて(笑)、実は導かれるように進んで来られたのですね。
玉村 2003年には果実酒製造免許を取って、ワイナリーをオープンしました。日本に農業としてのワインづくりを根付かせることで、荒廃した田園を美しくよみがえらせたい、持続的なライフスタイルを実現させたいという想いで、2014年に日本ワイン農業研究所株式会社を設立し、翌2015年に「千曲川ワインアカデミー」を開講しました。
― 玉村さんは東京大学仏文科を選んだ理由として、「一番役に立たないから」とおっしゃっておられます(笑)。でも、地域の活性化や人材育成など、社会の役に立っていますね。
玉村 僕は、自分がおもしろいと思ったことをやっているだけで、人を巻き込もうと思ってやったわけではないんです。ここにブドウ畑やワイナリーをつくろうと思ったところで、成功する当てもないし、やってみなければわからないから、だめだったらやめればいいや、というぐらいの気持ちでした。
― でもお金も借りて、覚悟はおありだったのでは?
玉村 58歳のときにワイナリーをつくろうと1億円以上借金して、68歳でアカデミーをつくるためにまた1億円ほど借金しました。まぁ、保険もかけているから、死ねば払えるんです(笑)。
ワイン造りをやりたい人のためにアカデミーを開講
― さぞ大変だったと思いますが、その大変なことをやりたいという人が、続々と玉村さんの元を訪れている。
玉村 そうなんです。40代~50代の人たちが多いですね。それなりの地位に就いて、家庭も子育ても落ち着いて、このまま順調に定年を迎えて年金暮らしになる。でも先が見えるようになると、人間は考えるんですよ。いまは人生100年時代ですから、残り半分、このままでいいのか。これまで培ってきた知識や知力、人脈もあるし、まだ体力もあるから、ここで一歩踏み出してワインづくりに挑戦してみたい。
そんな人がどんどん増えてきたので、2015年に「千曲川ワインアカデミー」を開講しました。当時はこの地域で3つほどしかなかったワイナリーが、今では30ほどになりました。
そんな人がどんどん増えてきたので、2015年に「千曲川ワインアカデミー」を開講しました。当時はこの地域で3つほどしかなかったワイナリーが、今では30ほどになりました。
― すごいですね。きちんと採算が取れて商売になっているということですよね。
玉村 アカデミーの卒業生は300人ほどですが、そのうち10人に1人は自分でワイナリーをもっています。ITや金融関係にいた人が多いのですが、億単位でお金を動かす世界にいても実感がない。でもブドウ畑で1日かけて草刈りを手伝うと、自分のやった仕事がそのまま見えるし、達成感がある。手間もお金もかかるし、リターンも少ないけれども、会社勤めをしていたころよりずっと充実していると、みなさん言われます。苦労はあるけれど、楽しいからやめないんですよ。
土地の個性がワインのおもしろさになる
玉村 土地によって気候風土もコンディションも違いますから、ブドウ栽培もワイン造りも試行錯誤の連続です。以前『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』(2013年、集英社新書)という本を書きましたが、当時は世界中でワインの生産地が増えるという現象が起きている頃でした。それまではフランスやイタリア、地中海周辺でしかブドウ栽培はできないといわれていましたが、南太平洋、アジア、アフリカでもワインをつくるようになった。適地以外でも、がんばれば、そこそこのワインができる。フランスワインと比べれば、点数は低いかもしれないけれども、その土地ならではの価値があります。
― 地元愛、仲間愛もこもっている。やらない手はない、ですね。
玉村 土地の個性をどう生かすかですから、競争や優劣ではない。個性の違いがおもしろさなんです。今年作ったブドウを仕込んで、2~3年後に飲む。5年、10年寝かせるとさらに美味しくなるワインもある。あの年、この地域は秋に雨が多かったから、こういう味になるんだねという思い出の指標にもなります。さらに、ワインには人と人をつなぐ価値があると思います。
ただ日本は、日本酒も焼酎もあってライバルが多いから、ワイナリーが増えている割には、消費量はそんなに増えていません。うちは年間3万本程度ですが、この周辺は1万本以下の小さなところが多い。でも小さくても、個性のあるいろいろなワインが味わえます。
ただ日本は、日本酒も焼酎もあってライバルが多いから、ワイナリーが増えている割には、消費量はそんなに増えていません。うちは年間3万本程度ですが、この周辺は1万本以下の小さなところが多い。でも小さくても、個性のあるいろいろなワインが味わえます。
― 小さなワイナリーが地域としてまとまっていて、それが発展につながっているのですね。
ワインに宿るフィランソロピーの精神
玉村 アカデミーをつくったときは、プロから「素人につくらせてどうするんだ」と散々言われました。ここは適地ですからちゃんとブドウを育てれば、それなりのワインができる。皆それぞれ進歩していますよ。
フランスでは、ブドウ栽培はキリスト教の副業として広がった換金作物で、ワインは商品でした。だから発展してきたわけだけれども、一方でランク付けするヒエラルキーも生まれた。でもブドウの出来不出来だけではないことが、最近わかるようになりました。
フランスでは、ブドウ栽培はキリスト教の副業として広がった換金作物で、ワインは商品でした。だから発展してきたわけだけれども、一方でランク付けするヒエラルキーも生まれた。でもブドウの出来不出来だけではないことが、最近わかるようになりました。
― ブドウ栽培もワイン醸造も、初期投資はかかりそうだし、支援も必要でしょう。
玉村 投資って、本来は自分でできないことを誰かに託してやってもらおうということでしょう。一緒に夢をみようとか、楽しもうというのが投資や支援であって、もっと純粋で、息の長い世界だと思います。フィランソロピーの精神と通じるものがありますよね。
― 何もなかった荒野を、こんなに素敵なブドウ畑に変えて、素晴らしいワインを造っておられる。この風景が、自分でもできるかもしれないという人の背中を押すのでしょう。まさに「ワインが醸すフィランソロピー」です。
大切なのは「仲間がいる」こと
玉村 でも本当に大変だから、会社を辞めてまでやるかどうかは、ご本人の決断次第。塀の上を歩いていて、こちら側に落ちてきた場合は、ケガをしないように抱きとめますが、自己責任だからと言っています(笑)。迷って「やらない」という決断をした人はたくさんいますが、決心して始めて途中で放り出した人はいませんね。病気で亡くなった人のところは、アカデミーの後輩たちが引き継いでやっています。
― 玉村さんというロールモデルがいらっしゃることが、大きいのでしょうね。
玉村 アカデミーをやってよかったと思うのは、仲間がいることです。「そんなバカなことやめろよ」と言われた連中が集まって、ワインを飲みながら語り明かして元気になって、またがんばる。それぞれにバックグラウンドが違うけれども、それこそ男女も年齢も関係ない。ブドウをつくる、ワインをつくるという話だけで盛り上がる。第二の青春です(笑)。
フランスで学んだこと 食文化の変化とワイン
― 玉村さんの原点にはやはりフランスがあるのでしょうか。
玉村 フランスに行かなかったら、ワインをつくろうとは思わなかったでしょうね。僕は全共闘世代で、東大在学中にパリに留学したので、安田講堂事件は向こうのテレビで見ました。パリも五月革命があったので、大学は閉鎖されていました。でも大学の近くに行くと、学生が集まって議論していて、夕方になるとみんなでディスコに繰り出して踊ったりしてね。1年間のはずが、結局2年いました。フランスで学んだことは「食
事は決まった時間に食べなさい。食べる時はすべてを忘れなさい。食べる時はワインを飲みなさい」―これだけです(笑)。これはいまでも守っています。
イギリスはビールの世界でパブの文化がありますが、フランスでは夕食は必ず家族が集まるので、食事後に外に飲みに行くことはありません。いまは、観光客用とか女性も働く人が増えたから、夜外に飲みに行くためにワインバーなどができましたけれども、ワインは家庭の飲み物です。
イギリスはビールの世界でパブの文化がありますが、フランスでは夕食は必ず家族が集まるので、食事後に外に飲みに行くことはありません。いまは、観光客用とか女性も働く人が増えたから、夜外に飲みに行くためにワインバーなどができましたけれども、ワインは家庭の飲み物です。
― フランスでも食文化や食生活が変化してきているのですね。玉村さんは料理をなさるとか。
玉村 ほぼ毎日。夕食前、5時ぐらいから前飲みと称して、飲みながらつくっています(笑)。料理はおもしろいですよ。昔は世界中の料理をつくろうと凝ったこともやっていました。
― 料理もアートですからね。ワインが家族もつないでいる。
玉村 ワイン造りをやりたいという人には、まず奥さんの了解をとりなさいと言っています。夫婦で協力しないとできませんから。ワインを楽しむ人は、家庭生活も大事にしているという人が多いですね。
― ただ、最近は若者がお酒を飲まなくなりましたね。
玉村 フランスも同様です。日本は40年間で日本酒の消費量が3分の1に減りましたが、フランスのワインの消費量も同じくらい減っています。ワインの価格が高騰していることもありますが、安いビールやワインのソーダ割を飲んだりしている。でも実家に帰れば、家族でワインです。日本も会社での飲み会などは減っていますが、社会に出て海外と仕事をすれば、どこかで必ずワインに出会う機会があるでしょう。
時間の経過を楽しむ
― 日本では、若いことがいいことだという風潮で、大人の文化がなかなか育ちません。大人へのあこがれや希望が持てる国になるといいなと思います。「成熟」の価値を問うという意味でも、ワインがひとつのメディアになるといいですね。
玉村 ワインは、時間の経過を楽しむものです。栓を開けて、飲んでいるうちに少しずつ空気に触れて味が変わっていく。飲みながら、あのころ何していた?あなたはどうしていた?という会話ができる。
3年5年経って美味しくなるワインもありますが、その理由はよくわからない。完全密閉ではないから、空気に触れて酸化しているわけですが、それがどう作用しているのか。どこまでが成熟でどこからが腐敗か―これは飲んでみないとわからない(笑)。
3年5年経って美味しくなるワインもありますが、その理由はよくわからない。完全密閉ではないから、空気に触れて酸化しているわけですが、それがどう作用しているのか。どこまでが成熟でどこからが腐敗か―これは飲んでみないとわからない(笑)。
― さまざまな化学反応は起こる。そこがおもしろくて深い!人間も同じ?
玉村 フランスでは、10代は「悪魔の美しさ」とも言われますが、それは持って生まれたもの、親からもらったもので、自分で作った美しさではない。年齢を重ねて自立した時にこそ、本当の美しさが出る。それを評価するわけです。「マダム」は存在感を持った、成熟した女性のことを表しますが、ワインとも密接に結びついているように思います。
住む人も訪れる人も楽しくする「生活観光」
玉村 ワインは農業です。ブドウ畑があり、農業をベースとした暮らしの営みがあって、みんなが楽しそうに暮らしている。その光景、生活の風景を見れば、来た人も楽しくなる。大勢で観光地に押しかけて名所を見て、ゴミを残して帰っていくのではなくて、生活の営みを見ることを、僕は「生活観光」と呼んでいます。
いろいろな人がいて、それぞれに物語がある。そこを訪ね歩いて話をして、食べて飲んで、温泉でも入って数日滞在してもらう。訪れた人が、「楽しかったから、今度はぜひうちの地域に来てください」と言って交流が始まる。土地の個性をもつワインは、「生活観光」の良いツールになると思っています。
いろいろな人がいて、それぞれに物語がある。そこを訪ね歩いて話をして、食べて飲んで、温泉でも入って数日滞在してもらう。訪れた人が、「楽しかったから、今度はぜひうちの地域に来てください」と言って交流が始まる。土地の個性をもつワインは、「生活観光」の良いツールになると思っています。
―「生活観光」の核に農業、その中での暮らしがあるといいですね。みんながそれぞれ幸せに暮らすためには、エコシステムの中でビジネスを考えることが必要だと思っています。農業は、その中核であってほしい。
農をベースに地域に根差した暮らしを
玉村 農業は維持することが最大の目的です。拡大すると工業的なビジネスになってしまう。農業はうまくできていて、たくさんできれば豊作貧乏になりますが、不作でも値段が上がるからなんとかなる。でも工業はそうはいきません。工業は拡大し続けないと存続できない構造ですが、農業は拡大したら存続できません。
地域に根付いた暮らしが成り立つということを考えると、コミュニティ単位で、小さな経済が回るような仕組みにすることが必要です。資本主義やGDPのお金にカウントされない活動ってありますよね。イタリアで経験したことですが、小さな食堂で食事をしてお金を払わないで帰った人がいたので、店主に聞いたら「あの人は野菜を持ってきてくれたからいいんだよ」と言うんです。そういう世界がある。でも日本はすべてお金で換算するから、お金がなければどうしようもない。
地域に根付いた暮らしが成り立つということを考えると、コミュニティ単位で、小さな経済が回るような仕組みにすることが必要です。資本主義やGDPのお金にカウントされない活動ってありますよね。イタリアで経験したことですが、小さな食堂で食事をしてお金を払わないで帰った人がいたので、店主に聞いたら「あの人は野菜を持ってきてくれたからいいんだよ」と言うんです。そういう世界がある。でも日本はすべてお金で換算するから、お金がなければどうしようもない。
― それで、むしろ不安を生み、息苦しくなっていますね。
玉村 いずれ資本主義も行き詰まるでしょう。ワインも世界中に流通していますが、最後は「そこに行かなければ飲めない」というところに行き着くのではないか。農をベースとした、地域に根付いた暮らしが少しずつ成り立って行けば、そして楽しい日常生活を送ることができれば、きっと変わっていくと思います。そういう地域づくりをやっていきたいですね。
― マズローの欲求5段階説は有名ですが、晩年6段階目として「自己超越欲求」を加えられたそうです。これは言い換えれば「コミュニティの発展・共生社会創り」。まだまだ玉村さんに教えを請いたい人はたくさんいらっしゃるでしょう。ワインを通して次代につなぐ地域づくりの展開を期待しています。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
(2024年6月3日 ヴィラデストワイナリーにて)
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー/2024年8月号 おわり
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